制裁としての公表

法律が予定している「制裁」は刑罰に限られません。むしろ、刑罰は数ある制裁の中でもっとも避けられるべきものと考えられています(刑法の謙抑性・補充性)。その他には、例えば、課徴金や免許等の利益的処分の取消し(撤回)などがあります(行政法上の制裁の概観として宇賀克也『行政法』(有斐閣・2012)129ページ以下参照)。その中には、「公表」も数え上げられます(宇賀・前掲では137ページ以下)。ここで「行政法」プロパーの議論としてなら、本稿のテーマは「法律・制度論以外」ではなく、「公法基礎」に分類すべきですし、そうなっていたはずです。しかし、そうではないということが本稿の方向性を示します。

インターネットにより、人々が情報を発信できるようになり、一般市民からも様々な情報が提供されるようになりました。その内容の正確性は(本ブログを含め)玉石混淆で、しかも、その裏付けは必ずしも容易ではありません。
このような状態で制裁色を持つ「公表」には十分な注意が必要です。そもそも、制裁というのは「あるべき状態や命じ・禁じられた行為・状態に反する行為等に対して、当該行為等の当該規範への違背を理由に加えられる不利益」だといういうことができます。この定義では、実は、例えば現在の刑法学の刑罰論でいわれるような「抑止」のような目的的な理由付けを必要としていませんし、同様に、「(社会的)非難を加える手段」というわけでも必ずしもありません。したがって、個々人が「制裁」として公表をなす場合、「復讐」と紙一重になりかねません。それが是認されないのはいうまでもありません(復讐が社会秩序の崩壊をもたらすことについては拙稿「厳罰論・規制論の誤謬(4)」参照)。
そもそも、行政法上の制裁としての公表であっても、法律上の根拠が必要と考えられています。それはいわゆる「法律による行政」に基づくためで、実務上の通説とされる「侵害留保説」(法人を含む市民に対して義務を課し権利を制限する場合には法律上の根拠が必要となるという考え。なお、ここでいう「法律上の根拠」とは、単に違法宣言で足りるものではなく、具体的な制裁の態様まで必要となる。)に基づいています。そして、一度情報提供がなされると、仮にそれが誤りだとして取消等されても、一度広がった情報の(事実上の)効果はそう簡単には消えないため、事前の手続保障として意見聴取等がなされることが少なくありません。しかし、市民のなす制裁的意義を持つ情報の提供(のほとんど)はこのような適正手続きを経たものではありません。
もっとも、このような立場には、「市民の提供する情報にはそのほとんどが根拠に疑いがあるのであるから無視すればいい」という反論もあり得ます。しかし、「口コミ」の名を借りたり、そもそもそのような情報の精査がなされることなく当該情報を真実だとして「拡散」されることが現状として多く認められる以上、上記の反論は説得力を持つものではありません。むしろ、情報提供者に対して正確性を期すことを求め、かつ誤った情報で不法に他者を害したものは、民法上の不法行為として損害賠償を求めたり、犯罪(例えば、刑法230条の名誉毀損罪、233条の信用毀損罪・偽計業務妨害罪など)として刑罰をもって対応すべきことになるように思われます。

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