「警察」と聞くと皆さんは制服を着たいわゆる「お巡りさん」や刑事ドラマの私服刑事を思い浮かべるのではないでしょうか。しかし、伝統的な行政法学では「公共の安全秩序を維持するために、一般統治権に基づき、人民に命令強制し、その自由を制限する作用」を指す概念として用いられます。したがって、このような意味での警察概念は警察官のみが担っているものではなく、様々な行政機関が担っています。

その警察権の限界に関する議論として、消極目的原則・公共原則・責任原則・比例原則などが挙げられます。そして、タイトルに挙げた民事不介入の原則はこのうち公共原則の一内容として考えられてきました。いわく、「民事の法律関係には警察権は関与してはならない」と。
この定義を見て、私の普段の論稿をご覧の方や法律学にある程度の親しみのある方はいくつかの「引っかかり」を感じるのではないでしょうか。まず、「民事の法律関係」とは、通常、財産法における債権・債務関係や物権関係、家族法上の家族関係、さらには会社法上の各種法律関係などです。例えば、債権の実現(ないし債務の履行)に警察官が関与することを通常は考えないでしょうし、あるいは、人の所有権の行使に通常は警察官が関与すべきだとは考えないでしょう。しかし、これらの例を見ただけでも次の疑問が浮かびます。「詐欺や恐喝は犯罪で、これに警察が関与できないのはおかしいし、窃盗罪の保護法益が『占有』だと理解され、自力救済は原則として刑法上の違法だと考えられていることからしても、『民事の法律関係だから介入しない』の一言では済ませられないのではないか」と。
これらの疑問は近時行政法学者のみならず警察実務家からも意識されています。そもそも民事不介入原則が、警察が債権取立てまがいのことをしたり債権者の依頼を受けてその権限をちらつかせて支払いを強要したりすることがあったことへの反省にも基づいています。これらはいずれも本則からすれば裁判所による実現を求めるのが筋であるし、場合によってはその債権・債務関係自体にも争いがあるにもかかわらず警察がその権力を濫用することで生じる様々な不正義を防ぐ必要があったというわけです。しかし、かつて話題になった、ストーカー事件への不介入とそれによる悲惨な事件が発生し、ストーカー行為規制法が成立したという過程で「民事不介入原則」が話題になったように、そもそも「民事」かどうかすら危ういものもあるのです。

そこで、米田雅宏(北海道大学准教授)の「「民事不介入の原則」に関する一考察」稲葉馨・亘理格編『藤田宙靖博士東北大学退職記念 行政法の思考様式』(青林書院・2008)は、警察公共の原則を私的自治原則の現れだと捉え、「本来、警察が民事関係に関与しえないのは、法制度が、直接の被害者の意思に基づいてのみ、他の法的手段たる民事裁判を行い、社会生活の秩序の障害を除去することとしているからであり、なお例外的に関与しうるとすれば、それは、警察機関と裁判所との機能的な役割分担に基づき、なお私人の申請に基づいている場合に(原文は傍点)限られる。」と理解します。確かに民事関係か刑事関係かは簡単には判断し得ませんし、既に上記に掲げたように、詐欺や恐喝による債権の実現や窃盗罪を構成する自救行為が刑法上も違法とされ得ることからすれば、そもそも民事と刑事自体オーバーラップをします。民事の法律関係か刑事事件かというのは、(世間では若干誤解されているようですが)何も二律背反ではありません。つまり、民事法が妥当する場面で刑事法が排除される(あるいはその逆)というわけでは必ずしもありません(検討レベルにおいて両方を問題にすることは十分に可能です)。そうすると、「民事だから」の一事をもって事態に介入できないということはそもそも論としてあり得ないというべきでしょう。民事というのも、所詮は、ある社会現象を「民事法規に照らして検討した」という意味以上のものではないのです(刑事でも同じです)。もっとも、公私二分論(なお、これについては拙稿「公法・私法二分論?」参照)がまだまだ当然視されていた頃には、公法関係か私法関係かというのは大きな意味を持っていたのでしょう。しかし、それが排斥されようとしている現在、「民事だから」は理由にはならないでしょう。仮に従来の警察概念を維持するとしても、「個人の生命、身体及び財産の保護」が必要な場面では「犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被害者の逮捕、交通の取締その他公共の安全と秩序の維持に当ること」は当然に要求されるべきでしょう(警察法2条1項参照)。その意味では、もしかすると、「警察の活動は、厳格に前項の責務の範囲に限られるべきものであつて、その責務の遂行に当つては、不偏不党且つ公平中正を旨とし、いやしくも日本国憲法の保障する個人の権利及び自由の干渉にわたる等その権限を濫用することがあつてはならない。」とする警察法2条2項の理解を厳格にする必要があるのかもしれません(言い換えれば、この条文を理由に不介入とすることをどのように限界づけるかが問題なのです)。その意味で、前掲の米田論文は「私人の申請(少なくとも同意)」(原文傍点)(前掲書267ページ)に着目しており、このような場合にはやはり介入の可能性を肯定すべきなのかもしれません。しかし、その申請が一方当事者の言いがかり(ただし、申請自体だけを聞くと正当な主張のように見える)の場合には警察法2条2項の「不偏不党且つ公平中正」との関係で問題が生じ得、もう少し絞り込みが必要なのかもしれません。警察権が自由制限機能を有している以上、そのバランスは極めて難しいものと考えられます。


人気ブログランキングへ
AD

コメント(1)