いわゆる「出会い系」と呼ばれるサイト等の話題は尽きません。もっとも、その多くは、何らかの犯罪の実現・発覚等によるものですが。


全くの赤の他人、しかも生活圏が全く重なることのない他人と知り合うことができるというのがこの手のサイトなりアプリなりのメリットなのでしょう。確かに、それによって従来よりも多くの人脈を獲得するということが可能になったのは疑いようがありません。人脈は自らの有さない経験や認識、思考、感情等に触れることを可能にし、その意味である人の人間としての深みを増すことを可能にします。その人脈を広げる機会が増えたということは、よりそのような人間としての深みを増す機会を増やしたということになります。

とはいえ、多くのユーザーはこのような広い「人脈」獲得ではなく、もっと狭い、「恋愛関係」を目的としていると認識されているように思われます。そのこと自体も必ずしも否定的に捉えるべきではないのかもしれません。


しかし、これが社会から顔をしかめられるようにみられているように見えるのは、それが犯罪の温床になっていると認識されていることによるのでしょう(もっとも、これは私が「出会い系は犯罪の温床である」と断言するものではありません)。確かにニュースに現れてくるのは、殺人、強姦、児童ポルノ法違反等々生命犯・身体犯、性犯罪といういわゆる粗暴犯であるがために、そのように見えてくるのは仕方がないのかもしれません。

しかし、これらの犯罪はいわゆる出会い系「があるから」生じているのではなく、それにより「起きやすくなっている」に止まるというべきでしょう。ただ、本当にそうなのかも、実は厳密な検証が必要なはずです。というのも、ユーザーがどれくらいいて、その中で犯罪がどれだけ発生しているのかを見ないことには、その犯罪率が割り出せず、いわゆる「リアル」との比較ができないからです。


私は、いわゆる「出会い系」をいわゆる「ナンパ」と比較することで、その意味を理解できるのではないかと考えています。よく「出会い系では顔が見えない」ことが危険理由として挙げられます。しかし、「顔が見える」ことにどれだけの意味があるのでしょう。いわゆる「骨相学」(犯罪者の身体的特徴を分析することで、犯罪者を予見する学問)が否定されている以上、顔が見えようが見えまいが、犯罪を回避できるかは実は直接の関係がありません。寧ろ重要な点は相手の身元に対する保障がないという点であるように思われます。そして、実はこれは「ナンパ」にも言える点です。ナンパは街中を歩いていて急に声をかけられるというものですが、このときナンパ者も被ナンパ者もお互いに身元が保障されていません。例えば学校や会社内部であれば、そこに属していることから、身元保障が存在します。

ただ、いわゆる出会い系ではこの身元保障がかなり難しいのです。例えば、ナンパであれば、その気になれば免許証等の公的証書の開示を求めることができ、その意味で身元保障の可能性は皆無ではありません(なお、免許証を偽造すれば、刑法155条の公文書偽造・変造罪が成立します)。しかし、インターネットというツールの特性上、これが難しいのです。例えば、免許証の写真を要求したとしても、それがその人のものなのかの判断は簡単ではありません。というのも、その写真をいじって他人の免許証に自分の顔写真を付すことが可能だからで、しかも、現在これを公文書偽造・変造とするかどうかに疑問の余地があるからです(いわゆる原本性の要件及び文書性要件の問題)。すると、ある程度(少なくとも一方は)信頼を形成して、いざ直接会うという段階でこのような身元保障を得るしかありません。しかし、信頼を形成したからこそ会うということになっているはずなのに、このような手段をとるのかというとあまり現実的ではありません。


そもそも、ネット上で本人確認を行うのはかなり難しいように思われます。しかも、年齢確認等も簡単にかいくぐることができることを考えると、ナンパよりも危険が高いことは否定できないのかもしれません。それに、様々な意味で誘惑性も高いように思われ、これを回避するというのは、やはり「そもそも使わない」ということの方が、危険回避の手段としては妥当なのかもしれません。


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