吐血までの流れを簡単に。

7月30日、4クール1週目のアバスチン+パクリタキセル投与。

8月6日、4クール2週目のパクリタキセル投与。

8月7日、約2ヶ月ぶりにオゾン療法+高濃度ビタミンC。久しぶりなので25g。いつも担当してくださる看護師さんが心配してくださっていて、近況報告して。また頑張ろう!って励まされた。

8月8日、ゲノム外来受診。治療に繋がる薬剤なしという結果に。。。
残念だけど、落ち込むこともなく帰宅。
夕方から発熱。いつもの事かと様子見。

8月9日、解熱剤がきれると高熱になって、解熱剤飲んで下がっての繰り返し。夜中に謎の腹痛に襲われる。なんだ?この痛みは。とりあえずロキソニン飲んで寝たら翌日には落ち着いていた。

8月10日、やっぱり熱上がる。食欲もあまりなし。

8月11日、やっぱり熱が上がる。おかしいなぁ、そろそろ下がってきても良いはず。。。食欲ないけど、近所のパン屋さんのクロワッサン生地にカスタードクリームが入ったパンがあって、それが無性に食べたくなる。お盆休み覚悟で行ったら、開いてたー!!!それ以外にもたくさんのパンを買って帰宅。
夕方から何となく気持ちが悪い感じ。
早めに寝ようと22時過ぎ洗面所に行って、歯みがきしようと思ったら嘔吐!いや、吐血ー!!!
ぎゃぁー!!!!!
ほんっとにビックリした。
量にして、片手一杯分くらい。
暗赤色の血とレバーのような血の塊2.3個が洗面所に。。。
慌てて主人を呼んで、
「パパ、血吐いちゃったー!救急車呼ばなきゃかも!」と。
病院にも一報を入れて、やっぱり受診した方が良いと。
結局、5分ほどで主人と入院準備し、すでにスヤスヤ眠っている子供たちの頭を撫でて、
「ママまた入院になっちゃうけど、さみしい思いさせてごめんね」の気持ちでいっぱいで、涙が溢れた。
「ごめんね。子供たちをお願いします。」と主人に告げて、
結局、救急車は呼ばずに1人でタクシーで。
この選択が間違っていたことにあとで後悔する事になる。
タクシーも5分程度来てくれて、夜中だったから道も空いてて、すごいスピードで病院向かってくれて、ありがたいような、怖いような、でももう早く着いてくれーの一心でした。
無事に到着して、夜間救急外来へ。
入り口入ったらすっっごい人!!!
嘘でしょー!?
でも吐血してるから、早めに診てくれるよね?と
思いながら受付。
「4.5時間お待たせする可能性があります」と。
えーー!?無理無理!
やっぱり救急車で来るべきだった。
今も吐きそうなのを堪えているし、吐いたら絶対血だと思う。
でももうしょうがない。受付の人だって吐血してるって知ってるし。
次もし吐いたら考えてくれるんでしょう。きっと。
タイミング悪く鼻血もブシャー!!!(鼻血もアバスチンの副作用です)
慌ててティッシュティッシュ!もう鼻から口から血だらけです。
みなさんベンチで座って待ってますが、私はもちろんもう座ってられない状態で。グッタリ。
バッグを枕にして泥のように横になりました。
もちろん、私だけが何で横になって寝てるんだよ!って思う方もいたでしょう。
でもね、無理だったんです。起き上がれないんです。
1時間くらい経った頃でしょうか、わざとなのか、たまたま当たってしまったのかわかりませんが、男性にベンチの足を蹴られました。
すごく悲しかったです。
ごめんなさい。


待って待って。
やっと深夜2時頃呼ばれました。
これまでの経過や採血やらもろもろ。
結局、貧血がかなり進んでいるため、これから輸血をします、と。そして入院になります、と。
レントゲンやCT等々やって。
5時頃お腹が急にゴロゴロ言ってトイレへ。
案の定、下血が始まった。。。
真っ黒のお通じ。ひゃー!!!
そして、5:30頃。
内視鏡室へ。
前回同様、静脈瘤を2箇所結紮したと。明らかな出血は見当たらなかったとのこと。
どんだけできるんだよ、食道静脈瘤ー!!!
こんなに朝早くから、処置をしてくださって、本当にありがとうございました。
その後GHCUへ入院。
あまり記憶がないのだけど、点滴スタンドにぶら下がっている輸血を見て、
名前も知らない誰かが献血をしてくれたから、私の命がいま助かろうとしている。
命を助けてくれてありがとうと、血を分けてくれた方に感謝した。
そこから2日間。泥のように眠った。
記憶があんまりない。
ずっと寝ていたと思う。

8月14日、もう一度確認のため内視鏡。今度は主治医がやってくれた。
あやしい箇所をさらに追加で2箇所結紮したと。
マジで、どんだけー!!!
でも、ありがとう先生!


つづく。