たこ八郎さん | 木下順介オフィシャルブログ「東京火の玉キッス」by Ameba

たこ八郎さん

あしたのジョーのモデルとも言われる


たこ八郎さん。


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亡くなられたのが1985年だから若い人はだれも知らないかもしれません。知ってらっしゃる方も、笑っていいとも、とかに出演されていたコメディアンとしての側面が強く印象に残っているでしょう。


本名は斉藤清作さんといって、ボクシングの日本フライ級王者でもありました。


ボクシングのチャンピオンなんです!


何でいきなりこんなことを書いたかと言うと、先日に引き続き資料を整理していたら、台本用のノートが出てきてそこに私が手書きでいろいろとたこさんの事をメモをしていたのを読んだからです。23歳くらいの時に書いた


『ある世界タイトルマッチの話』


という芝居用の台本なんですが、日本人の同じ階級の世界チャンピオン同士が闘う夜に起こる事件とそれに関する人々のその後の人間模様の話しです。


辰吉丈一郎VS薬師寺保栄の世紀の一戦よりも何年も前の台本です。


ヒントになったのは、今のボクシング協会会長のフアイテイング原田さんとたこ八郎さんが、桜新町の笹崎ジムで同じ年の新人王を争っていたという話しです。原田さんを売り出すために、同門のたこさんがトーナメントの勝負を辞退させられて、そこからお酒におぼれていった、という実話の小説に感動して、そこが種というか核になってどんどん台本が膨らんでいきました。


23歳といえば20年前ですから、若いのに渋い題材を選んでいます。


こういう情報は今ならネットで3秒あれば調べられますが、当時はネットも何も無かったので、ひたすら本を探したり、図書館で籠もって資料を作ったりしていました。時間もかかる作業なので、生活も省みずにその事しか考えない毎日を送っていたのを懐かしく思い出します。


今の時代は昔の映画だってだいたいは探せば観る事が出来るし、資料も情報も集めやすい状況になっています。


情報の細分化は昔からありましたが、その細分化にアクセス出来る手段が今は簡単になったという事なんでしょうね。


時代の変化の中でいかにして自分の本当の魂を育てて表現していくのか!


最近はそういうことを深く考える事が多いです。


頑張りたいと思います。


皆さんも頑張って下さいね!