お盆に実家に帰省しました。


実家で娘として暮らしていた時、仏前に毎朝、家族でご飯を食べる前に、炊きたてのご飯と熱いお茶、冷たい新鮮な水をお供えするのが、子供のころからの私の日課でした。


小さなころ、祖母に聞いたことがあります。仏様はどうせ食べやしないのに、どうして毎朝、ご飯やお茶をおそなえするのかと。


祖母は言いました。「仏様は、あつあつのご飯やお茶の湯気を召し上がるんだよ。」と。


「実際に食べなくても、私たちがご先祖様に感謝している気持ちをいただいているのかな。」幼かった私はそんな風に感じました。




子供が不登校になってから、せっかく手の込んだご飯を作っても食べないようになりました。私はそんな息子にずいぶんと腹を立てたものでした。せっかく作ってあげているのにと。

食べないなら、作らなくてもいいと思い、息子の分を作らなくなったこともありました。



でも、今思うのです。



息子は自分用のご飯が用意されていることを確認はしている。はしをつけなくても、自分を思う愛情はほしいし、必要なんだと。愛情を食べているのかもしれないと。



今は、、、用意された食事に手を付けず、カップラーメンをおいしそうにすすっていても、穏やかな気持ちで息子と話ができる自分がいます。