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Silent Separation

作者:顧漫

中国小説「何以笙箫默」(マイ・サンシャイン)の
日本語解釈文です。
ドラマとは若干異なっています。

Part.7 第4章 運命(1)


“俺もそう思ってる” だなんて、彼女にとっては全くの意図不明。

「今でも疑問に思ってる。あの時の俺の言葉が、君が遠くへ逃げ出す引き金になったんじゃないかと」

イーチェンの声は高くも低くもないが、一言一言に千鈞の重みがあり、彼女の胸のうちを叩く。

どうしてそんな言い方ができるの?確かにあなたはそう言ったのに!

あの日の状況は脳裏に焼きついている。確認を取りたくて、イーメイから話を聞いたその足で彼に会いに行った。イーチェンが私に嘘をつくはずがない。彼が違うと言うなら違うんでしょう。あくまで私は彼を信じる。だけど、もしも彼が本当にイーメイを好きだったら、どうしたらいいの……

彼のもとへ向かう途中、頭の中で想定し得た最悪のシナリオは、イーチェンが自分もイーメイを愛してると告げる場面までで、まさか反感を募らせた眼差しと刃のような辛辣な言葉で迎えられるとは思いもよらなかった。

「消え失せろ。僕はもう君を見たくない!」

「チャオ・モーション、君と知り合わなければよかった!」

あの関係を断ち切ろうとする口調と表情。今、思い返しても心が張り裂けそうなのに、さっき彼は何て言った。私が、彼を見捨てたですって?

「どういう意味?」 モーションは自分の靴を見つめながら、低くはっきりした声で問い返す。

絶え間なく移動する人の群れの中でたたずむ2人は多少なりとも周囲の注目を集めた。イーチェンは彼女を引っ張って人混みから連れ出すと、手を放して煙草に火をつける。

どう彼女に伝えるべきだ?ありのまま?

ダメだ。

彼がおもむろに口を開く。 「あの日、君の親父さんが訪ねて来た」

彼女の驚いた表情を見て、シニカルな笑みを美しい顔に浮かべる。 「意外だったか?はあっ!俺も意外だった。自分の彼女がまさか市長のご令嬢だったとはね」

モーションの顔色がにわかに白くなる。市長令嬢!市長令嬢!なんと皮肉な呼び名だろう!

彼女とイーチェンは同じ地元――Y市出身だった。当時はこれを天から与えられた運命と偶然によるものと大喜びしたものだが、今となってはこの上なくいたたまれない。

もしも、私がチャオ・チンユエンの娘だと知っているなら、そうだとしたら、きっと彼も知っているに違いない……

モーションは心中穏やかではいられずに言う。 「父さんに起こった出来事をあなたは知ってるはず」

「ああ」 イーチェンはうなずく。チャオ・チンユエンは汚職をし、収賄で以って巨万の富を得ていた。事件は獄中自殺によって表沙汰となり、国中に激震が走ったのだった。

モーションは目を閉じる。どっちでもかまわない。

「父さんはあなたに何と言ったの?」

イーチェンは目を落とす。あの日、チャオ・チンユエンに言われた言葉はいまだにしっかり耳にこびりついている。 「君はとても優秀な青年だ。モーションは君にゾッコンだし、私も反対したくない。もし、君が娘と一緒に渡米したいと思うなら、私が一切の面倒をみよう。ビザ、住居、学校、いずれも心配無用だ……」

なんと魅力的な条件だろう!

長らくして、イーチェンはこんこんと語る。 「バイトと奨学金に頼って日々をしのいでた一介の貧乏学生に、何て言うと思う?」

父親の性格はよくわかっていたので、モーションは沈黙する。利用価値のない人間、経歴のない人間など、歯牙にもかけない父だ。イーチェンにどんなに酷いことを言ったか、寸分違わず想像できる。そうでなければイーチェンの冷静さを以ってして、どうして自分に対してあれほど激しく怒り出しただろうか。

「ごめんなさい」 真相はなんとこういうことだった!長年にわたる認識が根底から覆され、モーションの心は千々に乱れる。ただ怒涛の勢いで押し寄せる戸惑いを感じるのみだ。

「その‘ごめんなさい’は誰のために言ってるんだ?君のため、それとも父親のためか?もし父親の代わりに言ってるのなら、その必要はない」 イーチェンは冷ややかに言う。

モーションは力なく弁解する。 「あの時……何も知らなかったの」

「ならば、どうして訊きに来ない?」

イーチェンの声はまるで地獄から届くかの如く冷酷で鋭い。 「君は俺に何一つ尋ねもせず死刑を宣告した。チャオ・モーション、俺がこの数年、どれほど君を恨んでたと思う?」

恨む?

モーションはうろたえて一歩後ずさるが、彼のコントロールから逃れられない。いきなり彼に肩をしっかりつかまれ、その力強さは骨が砕けてしまうのではないかと邪推してしまうほどだった。

「これまで俺は君を挑発したことがない。なのに何で君は俺を挑発しようとするんだ?挑発したのなら、何で途中でやめる?」 こうした絶望と怒りを含んだ詰問口調はモーションに 「ごめんなさい」 すら言えなくさせる。無意識に目を閉じ、彼を見ようともしない。

「今はただ君に訊きたい」 イーチェンはだんだん落ち着いてきて、焼き尽くすような視線で彼女を見つめる。 「もしもあの時、君がすべてを知っていたら、それでも去っただろうか?」

私はそれでも去っただろうか?モーションは頭が真っ白になる。彼がこんな質問をしてくるとは思ってもいなかった。

もしもこれが7年前だったら、きっと私は少しのためらいもなく 「いいえ」 と答えただろう。結局のところ、当時の私が渡米した理由は至極単純で、失恋の苦痛から逃げ出したい一心だった。だけど、今は?現在の私はすでにわかっている。7年前のすべての出来事は、父さんによって前々から練りに練られていた逃避行だったと。そうでなければ、どうしてわずか数日でビザが取得できたのか?そうでなければ、アメリカでの一切合切、どうして早々に手筈が整っていたのか?すべてが私の知らない間に水面下で決まっていたのだ。当時、たとえ私が行きたくなくても、無理やり飛行機に乗せられていたことだろう。

モーションは頭を下げる。 「ごめんなさい」

イーチェンはハッと気づき、手を放す。目の中の失望と怒りは彼女をバラバラに切り刻めそうなほど激しい。

しばらくして、彼はようやく何とか気を落ち着けて口を開く。 「じゃあ、今は?」

何が今なの?モーションはわからない。

「今、俺のもとに戻って来たいか?」 イーチェンがややこわばって問う。

外の世界が突然ひっそり静まり返り、モーションはびっくりして彼を見る。ただ自分の心臓が激しく鼓動する音だけが聞こえていた。

「俺はこういうことに時間を浪費するつもりはないし、別の誰かと知り合って、改めて関係を深めていくことにも興味ない。だから、君が一番適任だ。違うか?」

そうなの?モーションは呆然と聞いていたが、気分が徐々に沈んでいく。

知り合いだから。打ってつけだから?

だけどイーチェン。あなたは目の前にいるこのチャオ・モーションを本当に知ってる?この私、たまに私は自分でさえ、見慣れない感がするの。とてもなじみが薄くて……

だけど、そんなことはどれももう重要ではない。

私にはもう遥か昔の想いを追いかける気力はないし、いつでも挫かれるような感情をもう抱きたくなかった。自分の周りで全世界がガタガタと倒壊する音に、二度はとても耐えられない。

だから、イーチェン。 「ごめんなさい」

意気地なしの私を許して。ただ思ってもいなかったの、あなたでさえ私に勇気を与えることができないなんて。

驚いたことに彼女は拙速に拒む姿勢を示した。イーチェンはあくまで言い切る。 「急いで返事をする必要はない。君は……」

彼の言葉はモーションにそっと遮られる。 「私、結婚したことがあるの」

会話がいきなりストップする。イーチェンは信じられないとばかりに彼女を見て、一言一言この上なくはっきり尋ねる。 「何だって?」

モーションは地面に映った自分の影を見つめながら、遠慮がちに言う。 「結婚したの。3年前に、アメリカで」

イーチェンは冷たく暗い顔をした。体から吐き出される呼吸は周囲の空気をすっかり凍らせてしまう。彼はものすごい目つきで彼女を睨みつけ、今にも手を伸ばして彼女を絞め殺さんばかりの有様だ。

長いこと経って、ようやく芯まで冷え切った彼の声が聞こえた。 「チャオ・モーション、こんな風に君に踏みにじられるとは、俺も堕ちたもんだな」

時間はまったく変わることなく流れて行く。この日、モーションは雑誌社の掲示板で国慶節休暇のお知らせを見た時、やっと月日の経過に気づいた。いつの間にかすでに9月末になっていた。

夏の季節はこうして終わっていった。

10月1日が近づくにつれ、雑誌社内の雰囲気はますます休暇モードになり、9月30日勤務時間終了間近という頃、シャオホンが来てモーションに尋ねる。 「モーション、国慶節の7連休はどんな計画を立てた?」

「まだ考えてない」 モーションは机の上の写真を整理中だ。

「考えてないだなんて。私なんか5月1日の労働節から10月1日になるのを待ち望んでたのに」

彼女のオーバーな表情につられてモーションはクスリと笑い、口から出任せに訊く。 「今年はどうしてこんな長期休暇になったの?」

「毎年ずっとこんなもんよ」 シャオホンは少し不思議に感じながら答えるが、すぐに悟る。 「あっ、あなたは海外に長く居過ぎて知らないんだっけ。ここ数年、7日間の大型連休が実施されててね、観光事業の振興に貢献してるんだって。今年は私、鳳凰古城に行こうと思ってるんだけど、一緒に行きたい?」

彼女の満面とろけそうな顔を見れば、あのお医者さんと一緒に行くに違いないとすぐにわかり、モーションは小首を傾げて笑う。 「全コース、私を引き従えて、お2人さんのツーショット写真を撮らそうって魂胆?私のギャラ、すごく高いんだから」

「ああ!もう、いけず!」 シャオホンはとてもコミカルな動きで少しの間、恥ずかしそうに顔を覆い隠す。ところが手を下ろすと、ついさっきまで一緒に談笑していたモーションが再び物思いにふけって、ぼうっとした表情をしている。

シャオホンは軽く彼女を押す。 「モーション、どうしたの?近頃ちょっと変よ」

「え?あっ、何でもない」 モーションは我に返る。 「突然こんなに何日間もお休みになって、何しようかなって考えてたの」

仕事が終わった後、やはり自分は何をしに行けばいいのかわからない。街は目に見えてとても賑わっていた。店舗はどこも模様替えされている。モーションは美しいショーウインドー伝いにぶらぶら歩き、たまに止まっては軽食を買う。そしてまた、あてどなく歩き続ける。

なじみ深い年季の入った校門を見た時に初めて、モーションはC大へ来ていたことに気づき、自分でも驚いた。職場からここまで、市内のほぼ半分を歩いて来た計算だ。

学校の前はいつも以上に活気があった。至る所にカバンを背負った学生がいて、その顔には他愛ない楽しげな笑みを浮かべている。モーションは自らの学生時代を思い起こす。休暇のせいでかなり長時間浮かれて興奮していたものだった。今、思い返してみたら、まるで夢のようだ。

両手をポケットに突っ込んで、学校の並木道をぶらぶら歩く。この前イーチェンと一緒の時みたいにモーションの気持ちがざわつくことはなく、むしろあまりにも穏やかすぎて余計愕然とする。私の人生は、この学校を去った時点から歯車が狂い始めた気がする。だけど、今となってはどう進んで行くのが正解なのだろう?

「今、俺のもとに戻って来たいか?」 イーチェンの低く沈んだ声がまた頭の中で鳴り響く。モーションは足を止め、目を閉じて、胸の中のズキズキする痛みが消えるのを待つ。

彼のもとに帰る。かつて数えきれないほどその光景を思い浮かべていた。海外にいる時、しばしば気の抜けた状態で、イーチェンとの再会に始まり、ずっと一緒にいる幸せな2人を空想したものだ。それは、彼女の長くて孤独な一日の中の唯一の慰めであり、唯一の楽しみだった。彼女の持つ粘り強さと我慢強さは、こうした幸せな空想が原点となっていた。しかし帰国後、イーチェンが理性的且つ冷たい態度でその幻想を現実に変えた時、彼女は尻込みしてしまった。

彼と彼女、どちらももはや彼女の記憶の中のあの純朴なティーンエイジャーではない。7年間の別れによって生じた亀裂は常に互いの傷の痛みを思い起こさせる。たぶんほんの小さな傷にすぎないのに、まるで焼け火箸を当てられたような痛みだ。

心を配りすぎて、耐えられない。

2人の間では、実は7年前にすでに結論が出ていた。

いつの間にかまたグラウンド付近まで歩いていた。アスファルト舗装されたトラック上には多くの人がジョギングしている。

今、私が800メートルを走ったら、どのくらいかかるだろうか?

小柄なモーションが手すりをくぐって、トラックに立つ。つま先立ちしてスタートラインを描き、心の中で「123」と数えてから、800メートル走をテストする気持ちで飛び出した。

目を閉じて、夜風を駆け抜けゴールインする。

「4分25秒、遅すぎる」 頭をコツンと叩かれる。

「昨日より遅い」 彼女は気がふさいでつぶやく。その後、顔を上げ、目を輝かせて彼を見る。 「イーチェン、テストの時はあなたが前を走ったらいいかも。私が後ろを追っかけるから。それだったら、きっと速く走れるはずだもん!」

彼にじろりと睨みつけられた後、モーションは共感を得られなくて少々がっかりする。どこから見てもいいアイデアなのに。 「もしくは、目の前にあなたの写真をぶら下げて……」

「チャオ・モーション、恥を恥とも思わないのか!」 ついに堪えきれなくてイーチェンが口を開いて彼女を戒めるも、耳たぶがほんのり赤らんでいる。

……

微笑んで目を開けるが、ゴールラインはがらんとしている。

不意に脈打つ鈍い痛みが彼女の心に襲いかかる。細かい部分がはっきり見えてくればくるほど、鈍い痛みがダイレクトに感じられる。初めは何の前触れもなく涙が1粒1粒落ちてきたが、徐々に抑えきれなくなり、モーションは地べたに座り込むと、顔を埋め声を上げて号泣した。

今後はどこのゴール地点であろうと、二度とイーチェンがいることはないだろう。

列車の終点はY市だ。

昨晩C大から帰った後、モーションはとても早く就寝した。翌朝4時過ぎに目が覚めてからはどうしても寝つけなくて、天井を見つめたまましばらくの間ぼうっとしていた。起き上がって荷造りをしてから、駅に向かった。

帰国後、彼女がY市に帰るのはこれが初めてだ。

列車は時間通りに午前11時Y市に到着した。Y市は雨が降っているせいか、A市よりはるかに涼しい。冷たい風が吹き荒び、人々は身を縮こまらせている。

駅の階段に立って、指で薄着の衣服を軽く掻き合わせる。モーションが目を上げて自分の育った街を見回すと、心の底に何となく悲しいような嬉しいような感覚が広がった。これが懐郷の情というものなのかもしれない。

「おねえさん、観光旅行かい。宿はいかがかな。市内で一番安いよ」

「おねえさん、観光ガイドはどうだね。国慶節のキャンペーン割引で格安だよ……」

広場を横切る際、何人もの客引きと遭遇した。たぶん顔に出ている物見遊山の表情のせいで、彼女を地元の人間というより、むしろ不案内な観光客っぽく見せてしまうのだろう。モーションは心の奥で自嘲の笑みを浮かべる。

幸いなことにバス停の位置は変わっておらず、バスルートも変更されていなかったため、簡単に見つかった。

‘何度もバスに乗りさえすれば、その都市を真に理解できる’ と誰かが言ってた気がする。なぜなら ‘あなたを連れてこの都市の活気あふれる場所をすべて通過するから’ と。モーションは車窓の外の通行人、自動車、街路、店舗に目をやる。煙雨が立ち込める中、この江南の小さな町は彼女の現在の気分同様ぼやけていた。

「チンホーシン村です。降りられるお客様はご確認ください」

バスから飛び降りると、古い家並みが目の前に現れた。数えてみれば、チンホーシン村にも10数年の歴史がある。モーションはここでいつとはなしに徐々に成長していた。慣れ親しんだ階下に立って、‘人は変われど景色は変わらず’と感傷に浸り、もの寂しさを感じる日が来るとは考えもしなかった。

今回帰郷したのは母親のもとを訪れるためである。モーション母娘はすでに7年余り音信不通で、母親がまだここに住んでいるかどうかも知らない。

外は雨が大降りになり始めた。モーションはびしょ濡れで廊下に駆け込み、ドアをノックするが、一向に誰も出て来ない。

外出中?それともすでに引っ越したの?

玄関前で小一時間待つも、やはり誰も帰って来ない。服は全身びしょ濡れで体に貼りつき、足の指先はすでに凍えてとても冷たい。

モーションはふと幼い頃似たような場面が一度あったのを思い出す。雨を浴びて学校から走って帰宅したのに、家には誰もいない。玄関で2時間以上待ってようやく父親がブリーフケースを抱えて帰って来た。

いまだに父親がその時見せた、とても痛々しげな表情を覚えている。彼女をしっかり腕に抱きしめて、立て続けに言う。 「父さんが悪かった。父さんが悪かった。モーション、父さんのお尻をぶっておくれ!」

年が行ってから娘を授かった父は、2人一緒の時はやんちゃな小父さんとなり、娘を引き連れてあちこちでふざけ回っていた。チャオ市長の威信は微塵もない。ただ実に超多忙で、娘のために割ける時間は限られていた。モーションが小学生の頃は、同級生の多くは彼女の父が役人であることを羨んでいた。しかし、当時小学生のモーションは作文に書いたのだった : 私の願いは毎日定時に父さんの仕事が終わること、そして、毎日のように我が家まで馳せ参じて父さんと話し込む小父さんがいないこと、です。

とはいえ時間さえあれば、役人の父はモーションを猫可愛がりしてくれた。母とはまったく対照的……記憶の中の母さんは常につんと澄ました表情で、我が娘に対してめったに笑顔を見せることもなく……

「モーションちゃん!」

驚きの叫び声によってモーションは回想から我に返る。 「ホアン小母さん」

目の前に立っている中年女性はモーション家の隣人だ。彼女の夫は父の市役所での元同僚であり、両家で密に行き来する関係だった。

「モーションちゃん、いつ帰って来たの。早くお入んなさい、あらあら。まあ何て姿なの、びしょ濡れじゃない」 ホアン小母さんはドアを開けながら、彼女に声をかける。

タオルで体を拭いて、どうにか人心地ついた後、モーションはやや不安そうに口を開く。 「ホアン小母さん、うちの母はまだここで暮らしてます?」

「まだいるわよ。他にどこへ行けっていうの。まったくこの子ったら。出て行ったきり、何年もの間 便りの一つも寄こさず、お母さんを独りぼっちにしたままの娘がどこにいますか」

連絡を取りたくないわけではないんだけど。モーションは心がふさぐ。7年前、海外にいた彼女は父の訃報を知った途端、すぐに電話して家に帰ると伝えると、母は娘に向かってこの上なく淡々と告げた。 「今後、もう電話を掛けて来ないでちょうだい。帰国する必要もないわ。あなたのお父さんに私の人生は台無しにされたの。やっと今、静かな生活が送れるっていうのに、彼と関わりのあるものは一つたりとも二度と目にしたくない」

そうして、電話を切った。その後、電話を掛けた時には、すでにつながらなかった。その後さらに、アメリカにいる父の旧友リー小父さんから、今なお信じ難い裏事情をいくつか聞かされた……

モーションはホアン小母さんの苦言に答えなかった。 「母は元気ですか?」

「体調が悪いって話は聞いてないけど。せっかく帰って来たのにね。今日ここのコミュニティーが主催するツアーに出かけたばかりなのよ。5日すれば帰って来るから、とりあえず小母ちゃんの家に泊まってらっしゃいな」

旅行に出かけた?モーションはこんな返事を予想だにしなかった。どうやら本当に楽しく過ごしているらしい。モーションは目を落として軽く微笑むと、立ち上がって言う。 「ホアン小母さん、私、失礼します」

「お母さんが帰るのを待たないの?」 ホアン小母さんは不思議そうに尋ねる。

「いいんです。実は、母が元気にしてるかどうか確かめたかっただけで。それと、訊きたい事がいくつかあったんだけど」 モーションはひと呼吸置く。 「幸せそうだとわかったから、それらの事も訊く必要がなくなったみたいだし」

結局はすでにこうなっているわけで、事の原因はもはや重要でなかった。

「ホアン小母さん、お邪魔しました。私が訪ねて来たことは言わないでください」

帰る際、ホアン小母さんに父の墓地の住所を尋ねた。ジンジ山A区157ブロック、まるで住宅の住所のような番地だ。

彼岸の時期でもないため、ジンジ山にはほとんど人がいない。モーションは父の墓の傍らに座り、まるで父の生前中、父娘2人でおしゃべりした時のように頭を墓石にもたせかける。

モーションは今も父親と語り合う。 「父さん、会いに来るのがこんなに遅くなっちゃって、私を責めないでしょ?本当はずっと帰りたくなかった……」

「弱虫だから、受け止めきれないかもって怖かったの。私が出かける時はまだちゃんと生きてたじゃない。どうして今はお墓に入ってるのよ?」

「いつも自分に言い聞かせてたの。帰国さえしなければ、今も父さんは元気なままでいると思っていられるって。いまだに覚えてる。飛行機に乗る前、父さんはチーズビスケットを買ってくれたよね……その時、私に嘘をついて ‘アメリカがどんなとこか見て来い’‘嫌だったらまた帰っておいで’と言ったのよ。だけど、いい事なんか何一つなかったのに、帰って来られなかった……」

墓石の写真は、モーションとどことなく似ている若者がずっと気さくに微笑みかけている。モーションは袖をつかんで軽く拭く。 「父さん、この写真は大学時代のもの?こういう若い写真を使えば、あの世で若作りできるとか考えちゃダメだからね」

山は薄い雨霧に覆われ、まるで世の中に音が存在しないかのように辺り一面静まり返っている。モーションは墓石を軽く叩く。 「父さん、私のことは気にしないで」

長らく沈黙した後、モーションの目はだんだん山の霧のように虚ろになる。 「父さん、彼が言うの。そう、ホー・イーチェンよ。覚えてるでしょ。またやり直すのはどうかって言われたわ……父さんはどう思う?」

当然ながら誰も答えてくれない。しばらく経って、モーションは小声でぶつぶつ独り言を言う。 「実は私もいい事とは思えないの。彼はとっても優秀だし、いつも大勢の人に好かれてる。きっともっといい人が見つかるはずよ。私たちは何年も離れ離れで、その間に何があったか何も知らない。やり直したとしても、ぶつかり合ってばかりで、私なんかすぐに失望されちゃうわ。昔もよく私に失望してたもの……もしまた別れたりしたら、私自身どうなっちゃうか想像もつかない。今のこの形に、少なくとももう慣れたし……」

ここまでしゃべって、それ以上話を続けられない。知らぬ間に時間が経ち、モーションはそっと告げる。 「私は元気にやってるから、心配しないで……帰るわね、父さん」

下山する時、雨はすでに止んでいた。山の麓で振り返ると、山頂が夜の闇と薄霧の中に隠れかけている。まるで2つの世界が存在しているかのような眺めだ。