Part.8 第4章 運命(2)
市内に戻る頃には、もう日が暮れていた。モーションは携帯電話で時間をちらりと見る。どうやら明日帰るしかなさそうだ。市街地まで出向いていくつかのホテルを聞いて回るが、どこもすでに満室との返答だった。最後にようやく都心に割高なホテルが見つかり、チェックインする。シャワーを浴びて、洋服を干してしまうと、寝るにはまだ早すぎるので、起き上がって階下へ行く。
ホテルの目の前はY市で最も賑やかなジェングアン通りだ。Y市は風光明媚な街であり、多少なりとも名の知れた観光都市でもある。この時間、ジェングアン通りにはまだ多くの観光客がいた。モーションはふと、初めてY市でイーチェンを目撃した時のことを思い起こした。それはこの賑やかな路上だった。
その頃2人はすでにカップルになっていたにも関わらず、大学1年の冬休みに帰省する際、イーチェンは何としても彼女に自宅の電話番号を教えようとしなかった。当時のモーションからすれば悔しくもあり、悲しくもあった。彼氏の家の電話番号も知らないカノジョがどこにいるのよ?駅での別れ間際、丸め込みに失敗すると、モーションはぷんぷん怒って背を向け、駆け出してしまう。
ところが、何歩と進まないうちに後悔し始めた。何で怒ってるんだろう。たぶんもっと駄々をこねたら、イーチェンが根負けするかもしれないのに。なのに振り返って見ると、すでに駅前にイーチェンの姿はなかった。
家に帰ると元気がなくなり、食欲はわかないし、テレビをつけても何を見ているのかわからなかった。そのうちどうしたはずみか、突飛な行動に出る。毎日街へ猛ダッシュで繰り出し、イーチェンにばったり会えないかと期待を抱いていた。
すると、なんと本当に出くわしたのだ。
それは年明けのある日、空からは小雪が降っていた。彼とその時はまだ一面識もないイーメイが道路の向こう側を歩いている。彼女はその瞬間、まったく反応できなかった。なんと本当に出くわしちゃった。実を言えば、この街には大勢の人間がいるから、ほとんど可能性は低かったのに……次の瞬間、一目散に道路を突っ切ったかと思うと、彼の胸に飛び込んで抱きつく……
たぶんこの木の下だったと思う。ふわふわした毛の白い帽子を被った少女が、通行人の意味深な視線のせいで気まずそうにしている少年を抱きしめ、興奮して叫ぶ。 「イーチェン、あなたに会えるってわかってた。私にはわかってたもん!」
モーションは目を閉じた。
2人の関係がすでに過去のものとなった今、最もつらいのは何もかもが昨日の出来事のようにはっきりしている事だ。
彼女は突き動かされるようにカメラを取り出すと、実際には誰もいない場所へ向けてシャッターを押す。
現像された写真には広々とした道路が写っていた。歩いている人は誰もいなくて、見渡す限りがらんどう。
連休が明けて出勤し、モーションの仕事は更に忙しさを増す。
しかし、シャオホンだけは手が空いていた。彼女はコラムが終了したばかりで、まさにブランク期間中なのだ。毎日モーションのデスクで暇をつぶしては、彼女の結婚問題に世話をやく。
「モーション、そんな風に無駄に時間を過ごしちゃダメだってば。若さや美貌は時間との戦いだと自覚しなさい。あなたが今、誰かいい人を見つけたら、それこそが社会救済なの。2年後に同じことしたって、それはこの国の男どもをなぶり殺しにするようなもんよ。もっと年を……」 シャオホンは勿体ぶって耳打ちする。 「これって割りと生理学の法則に即してるんだから。モーション、夜に温かい胸に抱かれて眠りたいとか思わないわけ?」
「シャオホン……昨日、またそんな夢を見たの?」
「たまーにね!」 恥ずかしがるふりをして、顔を赤らめうつむくと、体を揺り動かす。しばらくして彼女は真剣になった。 「モーション、ようやく正常に戻ったんだ。この前なんか、追い剥ぎにあったみたいな有様だったもの」
シャオホンの古典的なたとえ方は、モーションの笑いを誘う。
考えないようにさえすれば、快活に見せかけることなど実はいとも簡単だ。同僚とワイワイ過ごしていれば、人の目には幸せそうに映り、そのうち自分でもだんだん本当に幸せな気がしてくる。
彼女とこの話題を続けたくなくて、モーションは壁の時計に目をやる。すでに10時。 「さあさ、会議よ」
今日の会議は四半期毎に行われる総会だ。
モーションが勤めている会社は大手の出版社であり、有名な女性雑誌 《秀色》 に加えて、ライフスタイルの週刊誌を発行している。そうでなければ、カメラマンを2人も雇う余裕などない。
《秀色》 は女性雑誌市場では人気雑誌という位置づけで、売り上げは同ジャンルの雑誌の中では常にトップを走っている。前四半期の販売部数は依然として1位に留まったものの、市場シェアは毎月少しずつ減少していた。
編集長は各部門の前四半期の仕事ぶりを肯定的に評価した後、本題に入る。主なテーマは新たなコラムを追加する件だ。
「うちの雑誌の差別化を図るなら、大衆誌とは異なるものが必要だわ。今の市場には、同じような類いの雑誌が掃いて捨てるほどあって、ほとんど内容が被ってるのよね。美容、ファッション、グルメ、恋愛、これら以外にまだできるものって何かない?」
編集長はみんなをぐるりと見渡して、言い足す。 「こう聞けばいいかしら。女性を惹きつけるものが何かない?」
「私、知ってる」 シャオホンが手を挙げて発言する。 「男ね」
全員すぐに笑い出す。
編集長はとても厳めしくうなずく。 「シンホンは普段とても大雑把に見えるけど、目の付け所は鋭いのよ」 編集長はもう勿体つけず、スライドをオンにした。いきなりテーマ 「エリートの男」の6文字が現れる。
みんながひそひそ話を始める。
「うちは女性誌だろ。テーマを男に特化するなんて、変てこすぎねえか?」 同僚の中に疑問を呈する人がいる。
「道理から言えば、異性が惹かれ合うのはごく自然なことでしょ。メンズ雑誌では女性が表紙を飾ってるじゃない。なのに女性誌だと、なぜ男性を取り上げちゃいけないの?」 編集長は問い返す。
みんなでとことん話し合ってから、編集長が言う。 「いずれにしろ、市場こそが唯一の真理だわ。だから、当面4回ほどやってみたいと思うの。後で読者の反響を見て、さらに続けるかどうか決めましょう。何か意見のある人」
「人選は?」
「ひとまず4人ほど候補にあげてみたけど、異論があれば言ってちょうだい」 編集長がマウスをクリックすると、白いスクリーン上に若い男性の写真が順繰りに4枚現れる。 「候補者はいずれも我々にとって高嶺の花の御曹司とかリッチな独身貴族ではなく、各界のエリートよ。一定の知名度があって、若くて、優秀で。一番のキーはイケメンな独身に限るという点ね」
「その人は、ついこの間 賞をもらった建築家じゃない?」
「そう、そう。左の人も見覚えがあるような」
みんなが各々とやかく言う中、モーションの目はいきなり右上端のシルエットに釘づけになった。何で彼なの?
「あっ、右の上端は‘法律の時間’でゲストMCした人じゃなかったっけ?えっと、ホー・イーチェン先生」
「そう、彼よ」 編集長はうなずく。 「ローカル局を見てる人なら、彼がゲストMCの1人だと知ってるはず。だって、この番組はものすごく高視聴率だもの」
「第1号には彼を推します」 古参のエディター、リーさんが提案する。 「彼はテレビに出演してるから、知名度も比較的高いし、容易に一攫千金狙えそう」
「そうね。最近話題の大きな経済案件でも勝ったみたいだし、買う気にさせられるかも」 すぐさま同調する人がいる。
「俺が思うに、名声なんか重要じゃないって。ポイントは彼の容姿が他の3人に比べたらずば抜けてるとこさ。女性読者の目を奪っちまうに違いない」
編集長はうなずく。 「私もそう思うわ」
「ウソだろ。マジすげーな?」 モーションは後ろに座っている新入りの大学生、シュー君が小声で呟くのが聞こえる。
「坊主、嫉妬したろう」 彼の横に座っているホアン記者が笑って言う。 「嫉妬しても無駄だぞ。あの人が1時間で稼ぐ額は俺たちの月収よりうんと多いらしい。法務関係の職に就いてる友達がいるんだけどさ、聞いた話だとあの弁護士さん、1つの案件の顧問料がおおよそこれぐらい」 ホアン記者は指を2本立てる。
シュー君は仰天して当てずっぽうを言う。 「2万?」
頭を振る。
「まさか20万とか?」
ホアン記者はあざ笑う。 「それに掛ける10」
冷たい空気を吸い込んで、シュー君は口をきかなかった。
コラムはほぼすでに規定事項で、現在の主要問題は誰が担当するかという点に移った。編集長は会議室を見回す。 「この新しい企画をやりたい人?」
会議室の中はシンとする。誰しもやってみたくてウズウズするが、まだ少々ためらいがあり、しばらく誰も声を発しない。
「私にやらせてください」
さばさばした潔い声と同時に立ち上がった女性は、社内ではクールビューティ―で有名なタオ・イージンだ。美しい顔に自信をみなぎらせ、彼女ははっきりと自分の意志を述べる。 「編集長、この特集は私がやりたいです。当座の仕事は最終段階に入ってるから、全力で取り組めます。それともう1つ、私には武器があって、C大を出ているんです。弁護士のホー・イーチェン先生と建築家のカン・ジアニエン先生、どちらもC大卒だから、私たちの間にはきっと共通の話題があるでしょうし。しかも、ホー・イーチェン先生とは一度会ったことがあって……」
一度会ったことがある?モーションが顔を上げると、いつもクールな美しい顔が珍しくほんのり赤らんでいるのが目に入る。思わず一瞬 頭が留守になり、心の奥にホロ苦い感情が湧いてくる。
「C大卒とは食えないお人だこと」 モーションの隣りに座っているメイ先輩が不満そうにぶつぶつ呟く。彼女とタオ・イージンはこれまでうまが合ったためしがないため、まさに今シャオホンをけしかけてくる。 「シャオホン、手を挙げなさいよ。何であんな女に大きな顔させんのよ?」
独立独歩すぎる点と目立ちたがりなせいで、タオ・イージンは社内での受けが悪く、古株の同僚の多くは故意にしろ、故意でないにしろ、彼女を孤立させていた。シャオホンとモーションはその輪に加わっていなかったので、シャオホンはひたすら冗談めかして辞退する。 「結構よ。私がこの仕事を受けたら、浮気したがってると彼氏に怪しまれちゃうもん」 イケメンの写真に焦点を定める。 「うーん、あのイケメンのホーさん、何か知ってる気がするんだけど。モーション、そう思わない?」
モーションは無理やり微笑む。 「あなたは世界中のイケメンに見覚えがあるんでしょ」
議論の最中、編集長はすでにタオ・イージンに決めていた。 「イージン、じゃあ、あなたに任せましょうか。あなたなら上手くやれると信じてるわ。フフッ、これもハニートラップの数に入るのかしらね」 編集長はからかう。
みんなどっと笑い出し、男の同僚が茶々を入れる。 「もし我らがタオ小町がその弁護士といい感じに進めたら、今後うちの会社は弁護士費用を節約できるかもな」
「モーション……モーションさん?」 編集長が彼女を呼ぶ。
「あっ、何でしょう?」
「この特集の撮影は比較的楽な仕事だから、時間を設けてできるだけイージンに協力してちょうだい」
モーションは一瞬身がすくむが、断るだけの適当な口実がとっさに見つからなくて、とりあえずうなずいて承諾するしかなかった。後で個人的にゴジイさんに代わってもらおう。
たぶん、私が彼の目の前に現れるのは筋違いだろう。
モーションとタオ・イージンが現在タッグを組んでいる仕事は 「ホワイトカラーのマンション」というコラムである。ホワイトカラーの独身男性の生活環境の紹介から始まり、彼らの生活概念を伝えて、モーションは撮影、タオ・イージンが記事を担当している。この日の午前中、仕事が一段落した後、タオ・イージンが言う。 「一緒に昼食に行きましょうか。友達を誘ってるんだけど、かまわないでしょ?」
「お友達がいるなら、やっぱり先に帰るわ」 モーションは対応に困る。
「いいから。1人で帰られたら、交通費を経費で落とせないじゃない」
タオ・イージンにこう言われては、モーションもうなずかざるを得ない。
レストランに到着して初めてタオ・イージンの約束した相手が、グォ・リーだと知る。彼女は「法律の時間」の女性司会者だ。
「先輩、こちらは同僚のチャオ・モーションで、カメラマンよ。今回の取材では彼女が撮影を担当してるの。モーション、こちらはC大のジャーナリズム学部時代の先輩グォ・リー。今は‘法律の時間’の司会をしてる」
「初めまして」 グォ・リーは優雅にうなずいて挨拶をする。
「こちらこそ」 モーションは挨拶を返すが、立ち去りたい衝動に駆られる。世界のなんと狭いこと。
グォ・リーは典型的な麗しきキャリアウーマンだ。トレンドファッションに身を包み、おっとりした物腰で、話す際は司会者らしく常に人懐こい笑顔を浮かべている。二三雑談をした後、本題に入る。 「イージン、雑誌でホー・イーチェンを取材したいの?」
タオ・イージンはうなずく。 「そうなの。先輩、間に入って口利きしてくれません?」
「口利き?私の出番がどこにあるっていうの。顔見知りなんでしょ?」
「数年前に新入生歓迎会を開いた時、一緒に司会したことが一度あるだけよ。その後、彼は卒業しちゃったから、たぶん私の名前すら記憶にないと思う」 彼女の瞳のきらめきがすっと引く。モーションは彼女のガッカリした表情を見て、心が動いた。
「あながちそうでもなかったりして。美人はいつだって印象に残るもの」 グォ・リーは軽口をたたく。
「先輩!」 タオ・イージンはヘソを曲げて言う。 「助けてくれるの、くれないの?」
「助ける、助けるってば」 グォ・リーはまだ心持ち笑っている。 「だけど、ホー・イーチェンには彼女がいないみたいだし、絶好のチャンスはモノにしなきゃ。母屋を取られちゃダメよ。名実ともにセレブな婿殿である上、人柄だって申し分ないんだから。この私が保証する」
「先輩!同僚の前で変なこと言わないで!」
「はい、言いません」 グォ・リーはその言葉で、第三者がいることをやっと思い出す。 「チャオさん、悪く思わないでね。私たちってずっとこんな調子で冗談を言い合ってるの」
「あ、かまいません」 モーションは軽く微笑み、顔をうつむけてコーヒーをかき混ぜる。
「イージン、お宅の雑誌がどうしてこれをやろうと思いついたの?」
「先輩、もしも雑誌で一流大学を出て成功したキャリアを持った、見た目も男前な若き鬼才が取り上げられてたら、買って見てみたいと思いません?」
「買っちゃう。ダンナの目を盗んで買っちゃう」 グォ・リーは褒めちぎる。 「だけどイージン。ホー・イーチェンの性格から考えて、おそらく女性誌には出たがらないんじゃないかしら?最初に彼をゲストMCに招いた時、私がどれほどの労力を費やしたか知らないでしょ」 そう言いかけて、彼女は突然言葉を止め、少し思い迷う。 「でも、そうとも限らないわね。もしかしたら……彼は目立つ場所に立ちたがってるのかも」 彼女は確信が持てないような口ぶりだ。
モーションは突然コーヒーをかき混ぜる手を止める。タオ・イージンは彼女をちらりと見て、グォ・リーに質問する。 「先輩、最初どうやって彼を説得したの?」
「最初は……」
グォ・リーは2年前、法曹界で名が売れ出したばかりの同窓生と初めて会った頃を思い出した。彼に協力を打診した際、ずっと落ち着いた表情をしていた若い弁護士が少しぼうっとして、気もそぞろになったように見えた。そして、ぼそっと彼が言うのを耳にする。 「これは目立つ場所に立ったうちに入るんだろうか?」
その後改めて、もしかしたらこの若い弁護士は、言われているような内向的で地味な性格ではないのではと感じさせる場面があった。それは、視聴率がどのくらいかと聞かれ、彼女が安直に類似の番組と比べて相当高い数字を告げた時のことだ。
程なく彼女は、彼が小声で独り言を言っているのを耳にする。 「つまり、大勢の目に入るということ……」
「ええ、とても大勢の人が見ているんですよ」 当時の彼女はこう繰り返したが、今にして思えば、あの弁護士は世間の注目を浴びるのが好きなのだろうか?
「承知してくれるかもね。インタビューできるようサポートするわ」 最後にグォ・リーはこう告げる。
食事した場所ではタクシーを拾えず、広場を突っ切らなければならなかった。この時間、広場では人の波がピークに達し、たくさんの製造業者が広場に台を設えて商品の宣伝活動をしている。
タオ・イージンはモーションのペースがどんどん遅くなるのに気づいて、堪らず急き立てる。 「ほらほら急いで。休憩時間が終わりそうよ」
「ええ」
彼女の視線がやや揺れ動くのを見て、タオ・イージンは聞かずにはいられない。 「何を考えてるの?」
「ん?」 彼女の声に目を覚ましたかのように、モーションの語気は少し弱まる。 「何でもない。かつて彼と……クラスメートとここではぐれた時のことを思い出して。ずい分探し回ってやっと見つけた時、彼にこう言ったの。このまま見つからなかったら、私はステージに上ろうと考えてたって」
「なぜ?」
「彼もそう聞いてきたから」 モーションは寂しげに笑う。 「見つからないなら、私が目立つ場所に立って、あなたに見つけてもらうしかないでしょって答えたわ」
イーチェンがテレビ番組に出演するのは、私がそれを見て会いに行くのを願っているの?今度は逆になって、あなたが目立つ場所に立っているの?
それとも、私の思い込み?
「あなたが好きな人?」 タオ・イージンが尋ねる。
モーションは答えない。しばらく経って、呟くような声がタオ・イージンの耳に聞こえた。 「……大好きな人」