生きている言語である「英語」を一つの学校の「教科」として勉強し、試験を行って成績をつける学校教育制度を作ってしまったことが、この国に不幸を招き、諸悪の根源だったと思います。学校の教科学習から「英語」科を撤廃(ないし自由選択性に)すれば、日本人の英語運用力は、確実に伸びることでしょう。日本人の英語力の目安であるTOEFLスコアの世界ランキングは、以前から下から数えた方が早いはずです。改善されていません。TOEICなら学校負担で無理やり受けさせられる(受験料を米国へ献上する行為も同然)生徒がカウントされてしまうので、アテになりませんが、TOEFLは基本、留学を志す非英語圏の受験者に限定されるので、国際間比較の目安になるかと思います。

 

日本が貧しく、教科書を政府が支給しなければ不平等だった時代は終わりました。誰でもインターネットでナマの英語を聞け、遠隔地同士でもSkype(または、Google Hangoutなどで)トークし合うことが可能な環境が整っています。それでも、誰のための英語なのか分からない一般人向けの「平均像」を対象にした、試験で成績づけするためだけの「英語」を教室で皆が揃って受ける必要性がホントにあるのでしょうか?

 

学習者の関心を持つ対象も英語運用力の水準も、まちまちな筈です。それを皆が教室で揃って同じ授業を受ける・・という光景は、過去の残像から引き摺っているから何も疑問を抱かないのだと思いますが、現実的には新幹線が走る時代になっても馬車に拘っているくらい滑稽な構図だと思います。ネットを繋げば、いつでも知りたい情報は得られ、英単語の意味も発音もネットから確認できます。何を血迷っているのでしょうか? 単に学校という形態を存続させ、教員の身分を保証し、その挙げ句に人生最大級の成長期の真っ只中にいる「次世代人材」を「(食い物にしているとは言いませんが)ないがしろにしている」と言えなくないでしょうか? 私には、どう考えても、そうにしか思えません。

 

変えられる場所から変えようと、サイエンスコースでは英語サイトの開設準備に着手しました。そこで、コアとなるコンセプトを"Sci-Tech-Art"としてみました。生徒の中に、藻類の培養や寄生虫の生態といった科学、風力発電の模型や接写装置の加工などモノづくり(工学)を志す者の他、絵本やイラストに関心がある生徒が混在し、そのいずれも既存の大学入試のような答えのある試験で点数化する学びでは到底、対応できない、生徒個人のオリジナリィティを出せなければ、研究活動も技術開発も、創作活動も全く評価されることはありません。つまり、試験で点数を競うような場は、実社会には存在ない架空の「絵空事」だった訳です。そんなコトで成長期にある若者が意味のない潰し合いのような受験競争を何年間、続けてきたのでしょうか? 今や、日本は鎖国を解き、第二の開国を迫られていると思います。

 

    ↑ 第一の開国(ペルーらの黒船が来航)

 

しかも、近年、アジア諸国の中でも落ち目である日本の大学が世界ランキングの中を勝ち残るには、新しい知見を見い出し、新製品を開発し、斬新な創作ができなければ太刀打ちできません。高度経済成長期には日本も勢いがあり、周辺国が遅れていたため日本は優位な地位に甘んじていられました。今までならば、企業は大卒者というレッテルだけで受け取って、何とか事業を回せましたが、新しい発想で生まれてきた外国企業に太刀打ちできないのが現状だろうと思います。学校教育を硬直化させてきたことの失敗であることは、明らかでしょう。

 

そこで昨晩、"Sci-Tech-Art"を掲げる高校が英語圏にあるか否かを検索してみました。すると、以下のような高校が米国で見つかりました:

1)The Science Academy G/HG/HA STEM Magnet(カリフォルニア州、移転予定

 別の高校(East Valley High School)のキャンパス内に移転する”学校-内-学校”で、G=Gifted、HG=Highly Gifted、HA=High Ability を意味する略号であり、特殊な才能を持つ生徒に対する英才教育的な意味合いを持つ(マグネット・スクールは、「磁石」で生徒を引きつけるの意)。

 

2)The Science Academy of South Texas(テキサス州)

 理系に特化した高校であるが、アートも教えている点がやや異色だと思う(なぜアートを扱うのかを論じている)。

 

3)The New School for Leadership and the Arts (ニューヨーク州)

 リーダーシップ育成とアートを前面に出しながら、中にサイエンス部門を持つ。

 

引き続き、調べて行きます(竹内)。