福島千種です。

 

「奇跡のコース」とわたし。その1

「奇跡のコース」とわたし。その2

の続きです。

 

その1とその2で、

コースとの不思議な出会いを語ってしまいました。

 

その昔は、悩むことそのものが趣味なんじゃないかという位

モヤモヤうじうじと格闘していたわたしが、

いつのまにか「寝れば大抵のことは解決する」などと

能天気なことを言えるようになったのも

突き詰めれば「奇跡のコース」のおかげ。

 

ツールもなし。

辛いめんどくさい掘り下げも不要。

そして、お仕事だろうがプライベートだろうが

全方向対応!

 

その2でも書きましたが

もちろん、だからとって

全ての悩みが消えたわけではないし

時々、どどーんと落ちたり

プリプリしたりすることもたまにはあるのですよ。

 

しかし、立ち直りやすくなったというか

軌道修正が早くなったというか

とにかく、今はとても生きるのが楽チンになったことは確か。

そして、自分にとっての平安とは何かを

感じながら過ごす方向へシフトしていったような気がします。

 

 

さて、話は変わりますが、

息子が小学校に入った頃から

8月は極力仕事を控えめにしているのだけど

今年も怒涛の6月7月を経て、

今月は一ヶ月割とのんびり過ごしながら

あらためてコースのことに思いを巡らせていました。

 

そこで、浮かんできたキーワードが

「聖霊とともに歩む」

でした。

 

この言葉を自分の中でゆっくりと繰り返して味わってみた時

なんとも言えない安心感が生まれます。

 

本当は、これまでだってそうだったのです。

でも、私たちはつい忘れてしまう。

いつも一緒にいてサポートしてくれている存在を。

 

聖霊に相対する言葉を挙げるとしたら「自我」ですが

ついついついついこの自我の誘いに

私たちはのってしまうんですね〜。

 

自我はとってもマメで巧妙なので

飴と鞭を使い分けながら

私たちの心をつかもうとする。

24時間恐れのCMを流し続ける

ケーブルテレビのチャンネルのようなもの。

 

でも、私たちはそのCMを見ても

テレビを消すという選択ができます。

 

そして聖霊の思考体系を選ぶことができるのです。

 

心の平安のために。

 

 

 

・・・と、まあ

「その1」「その2」「その3」通して

今の私の「奇跡のコース」との関わりを

書かせていただきました。

 

普段は、「愛」とか「感謝」とか

口にするのがちょー恥ずかしい!

そんな私が、「平安です」とか言っちゃってるんですから

ACIM、おそるべしです。

いや、恐れなくていいんだけど。

 

・・・でもこれ、ほんの一部。

「奇跡のコース」は、ほんっとに

言葉で説明するのが難しい。

 

ここまで読んでも「?」ですよね。

だってほとんど説明できていないもんね。

もやっとするでしょう。

でも気になる人は気になりまくりでしょう。

 

でも、「????」でも、

 

何か少しでも気になるのなら

それはサインです。

 

「いつ取り組むかということだけはあなたの随意」と

書かれていますので、

気になったときこそが

コースの世界に触れる合図なのかも

しれません。

 

私はと言えば、

今は、仕事だったら全てのメニューの根底に

このコースの世界観が流れていますし

同じように、家族や友人との関わりの中にも

「ああ・・」と思うことがあったら

コースを思い出すようにしています。

 

「その2」でも書きましたが、

コースは、いざ実践すると決めれば

私たちの身の回りの生活に反映させることができる

とてもフレンドリーな法則のようなものです。

 

言葉にしにくい

いや、無理に言葉にしないほうがいいこの世界観を、

様々な形でお伝えしていけたらいいなと

いつも思っています。

 

>>>その4に続きます。