日本の関所

 関所の歴史は古く飛鳥時代の西暦646年に遡るが、改新の詔に「関塞(せきそこ)」を置くと記されており、これが日本における関所の始まりと考えられている。

 当時は軍事上の目的として防備のために関所が設けられた。奈良、平安時代には都を守るための軍事的意味合いの大変強い関所が各地に設けられた。その後、鎌倉時代には、関所は軍事目的というより関料を徴収するためとなる。

 しかし、安土桃山時代には全国の関所は廃止された。織田信長は関所は円滑な物流を阻む、あるいは、商売の流通に支障を来すという理由で廃止に踏み切ったのだ。

 江戸時代になると徳川幕府が再び全国各地に関所を設けた。これは江戸を守るためという名目で幕府が復活させたものだが、この時の関所の有様はテレビなどの時代劇でご覧になったであろう。この時代は「入鉄砲出女(いりでっぽうでおんな)」*と言われるように鉄砲と女性の出入りの規制が厳しかった。

 関所は人や物を検査する「検問所」と言えるが、明治時代の1869年にこれら関所は政府によって廃止された。

日本の関所

 

 尚、関所の門は鳥居と全く同じであるとは言い難いが、客観的に見て形は似ている。

「門」と言えば、「歴史探訪③」のエッセイで「鳥居は神の領域と俗世の領域との結界としての意味を持つ」、又、「アカ族の門は人の生活する領域に存在する善霊と、悪霊の存在する村外とを隔てる意味を持っている」と述べたが、日本人が関門を見てどのように思いを巡らすかは、興味深い。

 

伊香保関所(伊香保口留番所)

 

*「入鉄砲出女」(いりでっぽうでおんな):

大名の反乱を抑止するために鉄砲などの武器が江戸に入ることを規制し、運送する者は幕府老中が発行する「鉄砲手形」を所持することが義務付けらた。一方、人質の意味もあった大名家に仕える女性を江戸から逃げ出さないように取り締まるため、関所では女性の通過を厳しく監視した。関所を通過する女性も手形が必要で、その手形には女性の素性や旅の目的などが記されていた。