十六歳のアメリカ ベースボール 二八、ミスターZ 95 | 六月の虫のブログ

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 パーティーが盛り上がって、みんながバーベキュー・チキンを食べ出した頃、二人の酔っ払いがパーティーに乱入した。彼らは泥酔してはいなかったが、アルコールを飲んでいるだろうことは一目瞭然だった。二人の名は、エド・ラブー (Ed Labue) とパット・デイリー (Pat Dailey) といい、二人ともシニアだった。真面目な優等生の他のチームメイトと、タイプが異なっていた。彼らは、皆に挨拶して回った。十年生のゲイリーとケリーは、二人のシニアに圧倒されて、握手をされても話しかけられなかった。今考えると、ゲイリーとケリーはエドとパットに圧倒されたのではなく、彼らにただ呆れていたのかもしれない。

 いよいよユニフォームとウインドブレーカーが支給されることになった。チーム全員が体育館の奥にあるサプライルームに集合した。自分の好きな背番号のユニフォームを取るのだが、ボクは背番号一番を希望した。しかし、一番はシニアのパット・デイリーが貰う番号だと言うことで一番を諦めた。結局、ボクはその当時好きだった大洋のシピンの背番号、一一番のユニフォームを選んだ。ユニフォームは、今シーズンから新調されたもので、上はボタンなしの黄緑色に白地でアイリッシュ (IRISH) とチーム名が入っていた。首回りにはゴールドとダークグリーンのストライプが入り、袖にもゴールドと白とダークグリーンの三色のストライプが入っていた。パンツは白で、お尻にあるポケットのフラップはダークグリーンで、ベルトもダークグリーンだった。アンダーシャツはゴールドで、ソックスはダークグリーンというなかなかかっこいいユニフォームだった。帽子の正面は白で、後ろ側はダークグリーン、正面にダークグリーンでマクナマラのエム (M) が刺繍してあった。日本の峰山高校のユニフォームに比べるとずいぶん派手だが、生地は軽く伸び縮みして動きやすいものだった。

 スパイクは白い物を履くらしく、それは個々に調達する必要があった。早速、その次の週末カーシャウ夫妻に連れられて、白いスパイクを買いにスポーツ店に行った。サイズにあったスパイクを見付けると、ボクは蹴り足の右足に履くスパイクにプロテクターを付けるように店の人に頼んだ。スポーツ店の帰りに、文房具店に寄って、油性の緑のマジックを買って、家に帰った。家に帰ると、スパイクに紐を通した。ボクはスパイクのサイドに無色の皮で縫い付けられていた三本線を、買ってきた油性マジックで緑色に塗った。


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エド・ラブー(左)とブライアン・マーサリ