僕は八路軍の少年兵だった | コスパだよ、ライダーは! CB650Rと時々登山(ダンチマンのブログ)

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これがスマッシュヒットでした。
 
 
終戦時、中国戦線にいた日本兵の多くがソ連に連れていかれたことは有名だが、八路軍(今の中国人民解放軍)が、日本残留兵を戦闘員として国民党との内戦に投入していたことは知らなかった。
 
著者は昭和19年、15才で開拓青少年義勇軍の一員として満州に渡航。翌年の終戦と共にソ連軍の収容所送りとなり過酷な生活環境から意を決し逃亡。這々の体で八路軍に拾われ、昭和32年に帰国が叶うまでの12年間、人民解放軍の一員として従軍した記録だ。
これだけでも波乱万丈だと思うが、読めば本当によく生きて日本に帰れたものだと思う。
特に終戦後のソ連軍の日本人に対する扱いは酷く、帰国を前に多くの民間人・軍人が亡くなった。著者も多くの同志を失うなか、決死の覚悟で収容所から逃亡する。その道中、羊泥棒の冤罪をかけられ国民政府に死刑宣告を受けている。幸いにして執行前に八路軍(共産党)が街を解放したため無罪放免となった。
ここからなし崩し的に八路軍兵士としての長い従軍が始まる。国民政府軍との戦闘中には誰もいないと思い込み覗き込んだトーチカで敵兵と遭遇。恐怖のあまり自爆を決意するがそれも怖くなり直前で自爆用の手榴弾をトーチカの中に放り投げ敵兵7名を殲滅。なんと日本人が八路軍の英雄として報告されている。
砲弾の破片をうけ、出血多量で野戦病院に担ぎ込まれたこともあった。この時は一度心臓が止まり、遺体安置所に運ばれたものの、たまたま担架から地面に落下した衝撃で心臓が再び動きだし奇跡的に一命を取り止めた。
従軍は朝鮮戦争まで続くが、この時は既に幹部として多くの兵を率いる立場にまでなった。もちろん中国語はネイティブレベルまで上達。日本への帰国が認められた時は何と恩給として退職金まで支給された!
帰国後は得意の中国語を活かし、日中貿易に従事。中国はその後の主導者を鄧小平に変えていくが、他の社会主義国家同様、マルクスの理想に近づけず、寧ろ文革という内ゲバで国民生活は窮乏していく。そのさまを「日本人もこのクレージーな文革を笑えない。かつては『1億火の玉』となって太平洋戦争を戦ったのだから」と表現できるのは著者が悲惨な戦争経験者だからだろう。
 
著者はきっとおおらかで飄々とした性格なのだろう。何度となく生死の岐路に立つが、行く先々で道が開けていくさまをテンポのいい文章で紡いでいく。ただしその明るい楽観的な性格をもってしても満州からの引き揚げの記述はあまりに悲惨で、時に文字を追うのが辛かった。
関東軍はとても在満邦人のことを考えて行動していたとは思えない。いや民間人どころか少年兵のような末端の兵士すら、道具のように扱っている。戦術は精神論に終止し命は時に軍旗より軽い。日本軍の内部でさえ蛮行がまかり通っていたのだから朝鮮や中国、東南アジアで現地の人に日本軍が何をしてきたのか想像がつく。
本作の発刊は中国のGDPがまだまだ日本の10分の1程度だった1994年。著者は1929年生まれなので存命していれば94歳になるはずだ。日本の経済規模をはるかに凌駕することとなった現在の中国を見たら何を思うだろうか。そして再び国民政府(台湾)と戦火を交えようとする人民解放軍を見て何を感じるのだろう。
戦争はなくならない。そして犠牲になるのはいつの時代も弱い立場の人々だ。平和について考えることが増える8月、良き本に巡り会えました。