日本史メモ 第12回 041 持統天皇 | 嗅覚障害者の団体を作りたい。 I want to create an organization for people with smell disorders.

嗅覚障害者の団体を作りたい。 I want to create an organization for people with smell disorders.

リトル・ミックスのペリー・エドワーズも同じ嗅覚障害らしいですね。"Perrie Edwards from Little Mix also seems to have the same smell disorder as me, doesn't she?"

(奈良県橿原市にある、天の香久山こと、香久山。藤原宮跡[ふじわらきゅうせき]からの眺望)

 

第41代天皇 持統(じとう)天皇 在位期間690年~697年 なお、「㊽」とは、「今上天皇の直系のご先祖様で、直系48代遡る」という意味です。

鸕野讚良皇女(うののさららのひめみこ)。日本史上3人目の女帝で、8人いる女帝のうち真に国の実権を掌握していた女帝は持統天皇のみ。天智天皇㊽の第2皇女。天武天皇(大海人皇子)の皇后。弘文天皇の異母妹、元明天皇&志貴皇子㊼(しきのみこ。光仁天皇㊻の父)の異母姉。

645年生まれ。662年の朝鮮半島への出兵の際には自ら九州へ赴き草壁皇子(くさかべのみこ)を生んだ。

近江朝廷の父・天智天皇と夫・大海人皇子との関係が悪化すると、夫と共に大和吉野へ下った。

(桜の季節の吉野の山々)

 

672年壬申の乱に勝利し、673年夫が即位し皇后となると、政治を輔弼した。

686年10月1日(旧暦9月9日)に夫・天武天皇が崩御すると、子の草壁皇子を皇位につけるべく動き、同年10月24日(旧暦10月2日)大津皇子※1が親友の川島皇子※2の密告により謀反の疑いで捕らえられ翌日自害。享年数え24歳。

※1 大津皇子 おおつのみこ。天武天皇の子。母は持統天皇の同母姉。草壁皇子の異母弟、舎人親王の異母兄。天武天皇の皇子の中で最も優秀だったという。

※2 川島皇子 かわしまのみこ。天智天皇第2皇子。天智天皇の命で歴史書『帝紀』『旧辞』を編纂したと言われるが、両書とも散逸し現存せず。

 

ところが、草壁皇子は689年に病没してしまう。

すると、孫の軽皇子(かるのみこ。文武天皇)を天皇にすべく、その中継ぎとして自らが数え46歳で皇位についた。

中継ぎと言っても、歴代天皇の中でも有数の、国の実権を掌握していた天皇であり、律令体制を整備した。

694年藤原京遷都。

697年軽皇子に数え53歳で譲位した後も703年に旧暦での数え58歳で崩御するまで政治を見た。

日本書紀は持統天皇で終わる。

 

★持統天皇の万葉集の歌

春過ぎて夏来たるらし白妙の衣ほしたり天の香久山

はるすぎてなつきたるらししろたえの、ころもほしたりあまのかぐやま。

(口語訳)春が過ぎて夏がやって来たようです。真っ白な衣が干してありますよ。天の香久山に。

★持統天皇の百人一首の第2(新古今集)

春過ぎて夏来にけらし白妙の衣干すてふ天の香久山

はるすぎてなつきにけらししろたえの、ころもほすちょうあまのかぐやま。

(口語訳)もう春は過ぎ去り、いつのまにか夏が来てしまったようですね。真っ白な衣を干すという天の香久山に。

(奈良県橿原市にある、天の香久山こと、香久山。標高は152m。藤原宮跡からの眺望)

 

690年唐(とう タン)の高宗(こうそう ガオ・ゾン)の皇后(こうごう ホゥアン・ホウ)、元々は太宗(たいそう タイ・ゾン)の妃(きさき フェイ)だった武照(ぶしょう ウー・チャオ)が周(しゅう ヂョウ。武周[ぶしゅう ウー・ヂョウ]。~705年)を建国し皇帝(こうてい ホゥアン・ディ)となる(武則天[ぶそくてん ウー・ツー・ティエン]or則天武后[そくてんぶこう ツー・ティエン・ウー・ホウ])。624年生まれ、このとき66歳(数え67歳)。中国史上唯一の女帝。偶然にも持統天皇と即位の年が同じ。

(中国ドラマ『武則天』第1話。NBCユニヴァーサル・エンターテイメント公式動画。武則天を演じてるのは色々と話題になったファン・ビンビン)

 

※岡宮天皇(おかのみやのすめらみこと) 662年生~689年没

草壁皇子(くさかべのみこ)。天武天皇&鸕野讚良皇女(うののさららのひめみこ。持統天皇)の子。大津皇子や舎人親王の異母兄。

元正天皇&文武天皇の父。この2人を産んだ后・阿部皇女(あへのひめみこ)はのちの元明天皇。

皇太子だったが数え28歳で没。

岡宮御宇天皇(おかのみやにあめのしたしろしめすすめらみこと)の追尊(ついそん)を受けた。

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(雑感)

 

今日のお題は、持統天皇の有名な歌にもある「山」、それも「低い山」です。

何しろ、「天の香久山」こと香久山の標高はたったの152mですからね。

よくある、田舎の裏山、里山を取り上げたいです。

私の父方の実家は、ちょっとした田舎の古くからの農家で、低い山がありました。子供のころ、何度かその山に登って遊びました。私にとって「低い山」といえば、この父方の実家の山ですね。

低い山は好きです。高い山は遭難が怖いですが、低い山は怖くないですからね。

 

ちなみに、今日貼ってる写真は、実家の山じゃなくて、いつものごとくフリーの写真素材サイトの写真です。「これくらいの山だったっけかな」と思い出しつつ選んで貼ってます。

 

実家の山の思い出として、まず思い出すのは、シイタケを栽培していたこと。こんなシイタケ栽培の木がありました。

 

シイタケというと、すき焼き。美味しいですよね。

もっとも、物心ついた頃から嗅覚がないので、グルメ趣味は苦手ですし、シイタケの匂いなんて全くわかりません。

松茸と違って、シイタケは匂いなしでも楽しめる食材でしょうか?どうにもよくわかりません。

 

実家の山にはゴマダラカミキリムシがよくいました。

 

玉虫もよくいましたね。綺麗でした。

 

カブトムシはいたっけなぁ?覚えてません。いたとしたも、そんなに多くはなかった気がします。

カブトムシはむしろ自宅の近くの林で普通に採ることができました。

 

ノコギリクワガタは採れた気がします。そんなに多くはなかったですが。

ノコギリクワガタも、むしろ自宅近くの林で普通に採れましたね。

 

相続とか遺産分割とかの際に山は売られてしまったと聞いてます。まあ、とにかく、低い山で遊んだことは良い思い出です。