お笑いブームでもなんでもない時の  

突然の社長の発言に驚きを隠せなかった。

うっそでしょう〜⁈

若手たちが集められ、半ば強制的に 
コンビを組まされた。 

三上は、3人トリオ。 

6組くらいいただろうか。 

お笑いなんて、考えたことがないが 
社長命令。

やるしかねぇっ! 

右も左も分からないなか
手探りでネタ作りをはじめた。 

はじめてネタを披露したのは
事務所の忘年会だった。

師匠あおいさんも見ている中で
クソほどスベった。

また血尿出るかと思った。

お笑い授業もはじまった。

6組のネタ見せという形だったが 

講師が

お前らのツマらないネタを 
6組見せられても時間のムダだから 
代表の1組だけネタを作ってこい!

と言う。 

鬼の講師である。 

「じゃ、お前とお前」 

三上、指される。 

なんでよ〜! 

その時に、代表としてコンビを組んだのが 
後のパニックモンキーの相方、鈴木優介だ。

優介とともに、ネタを作り続け 
鬼のダメ出しを受け続けた。 

オーディションを受け 
お笑いライブにも出演した。  

狭い楽屋には、まだ若手だった
バナナマンさん、劇団ひとりさん
スピードワゴンさんなどなど

そんな時代だ。

渋谷ラ・ママでのライブ に
ド新人枠で出場した。
持ち時間3分で、お客様が10人手をあげたら 
強制終了。 

登場しただけで8人が手をあげた。 

発表の場にと 
代々木公園で路上ライブもはじめた。 

隣には「超新塾」
一番お客様を集めていたのは「WaT」

そんな時代だ。

革ジャンにリーゼントの皆さんに目をつけられ

勝手なことしてんじゃねぇーよ! 
 
怒られた。 

このままでは路上ライブが出来なくなると 
NO-TENKIで一緒だった 
元ラッツ&スターの山崎さんに相談すると 

ロカビリークラブ知り合いだから
言ってあげるよ 

すぐに電話してくれた。

「もしもし山崎だけど、ジョニーいる?」

知らない世界に触れた気がした。 


ウケてもウケなくても
毎週、何本ものネタを書き続け
路上に立ち続けた。

出来ないなりに
もがき続けたお笑いは 
演技の振り幅を広げるという 
思わぬ効果をもたらした。

どこかで、点は繋がる

なんでも挑戦してみるもんだ。


この頃 
THEATER JUNK(シアタージャンク)という 
劇団にも所属し、小劇場でも活動していた。

そして、このJUNKでも
劇団初となる地方公演に挑戦しようとしていた。

これから

金なし、コネなし劇団による 

飛び込み営業大作戦がはじまる。