三上潤(44歳)外組若頭 

1975年10月8日 
父・憲司、母・真由美の次男として 
東京、大田区田園調布に生まれる。 

田園調布。 

そう、東京でも有数の高級住宅街である。 

え⁈家が金持ちだったの? 

いやいや幼少時代の記憶など、曖昧である。

家に高級外車が2台あり 
庭に池があり 
鯉が数匹泳いでいた。 

それは、よく覚えている。 

誕生日には、友達を大勢招き 
豪華な食事と大きなケーキ。 

それは、よく覚えている。 

そして、小学校にあがる頃には 

家が、団地になっており 
車が、中古の国産車になっており 
鯉が、ハムスターになっていた。 

それも、よく覚えている。 

そして東京から山梨へ、山梨県は山中湖村。
住んだ家の壁は、トタンだった。 

それも、よく覚えている。 

トタンの家…
両親の苦労を考え、幼少時代の記憶は 
なにか夢でも見ていたんだろうと思うことにした。 

それも、よく覚えている。 

そう、幼少時代の記憶など曖昧である。 

さて、山中湖。 
富士五湖のひとつ。 

あ、知ってる。行ったことある! 

と言った人は、だいたい河口湖に行っている。 
で有名な、山中湖だ。 

富士山と湖。  

電車もなく、映画館などの娯楽施設もない。 

小学生のころは、サッカー小僧
夢はサッカー選手。

今の三上から想像できないだろうが
以外にスポーツ万能だった。

というか、スポーツ以外やる事がないので
それなりに万能になる。

だってあるのは、大自然。

山中湖には2校の小学校があり
中学でひとつになる。 

俺は東京生まれ、山中湖育ち
住んでる奴はだいたい友達!
である。

中学校ではバスケに明け暮れる。
サッカーからバスケに転向するのには
深い理由があるのだが、興味がある方は
過去記事をご覧ください。



この頃は演劇なんて
観たことも聞いたこともなかった。

隣街の映画館で観た映画といえば
男闘呼組の「ロックよ静かに流れよ」くらい。

映画を観て、すぐにギターを買うくらいの
影響されやすい少年には育っていたが
役者になろう!などとは思わない。

というか、そんな発想は生まれない。

だって、あるのは大自然。

そんな三上が芝居に出会うのは

高校時代である。