35年ぶりに中学の1年数ヶ月を過ごした韓国に行ったことは既に記事にしているが、大きく変わってしまったソウル市内で私が尋ねてみたかったのはソウル日本人学校のあった場所と、当時暮らしていた南山外人アパート跡であり、前回の記事で学校跡の最寄駅である漢南駅で降りたところまでを記事にさせていただいた。
駅舎は私が帰国した後に出来たものだし、周囲の建物や道路もおそらくは同じように私が昔見たものそのものではないのだろうが、賑やかなソウル中心部の街並みに対して少々閑静というか生活感のある、少々雑然とした街並みは当時の雰囲気も感じられる。
当時なかったグーグルアースで、駅や学校跡やアパート跡の場所を見てみれば、どれも結構近く歩いていくのも充分な距離であり、昔を懐かしみながら学校のあった場所に歩いてみた。
昔はオレンジや黄色といった原色が多かった自動車も、今では日本で流行のワゴンタイプの車の比率が少ないことくらいを除けば、色合いも形も日本と似たような自動車が走っており、日本を歩いているかのような錯覚にも陥りそうだ。
学校のあった場所は事前に調べて
漢南洞96-3番地
だと判っていたし、学校のあった場所には
シンサンシティミソビルディング
という建物があるというのも教えていただいた。
漢南洞96-3番地
だと判っていたし、学校のあった場所には
シンサンシティミソビルディング
という建物があるというのも教えていただいた。
駅から歩き始めて10分も経っただろうか、目の前に突然
ミソシティー
という立派なビルが現れた。
ミソシティー
という立派なビルが現れた。
周囲を見渡せば、日本を出る前にグーグルアースで確認した風景に一致しており、多少ビルの名前が違うまでも学校があった場所だということが判った。
それは学校じゃないと判っていても、ついついそのビルを見上げてしまうのだが、当然の事ながらこんな立派なビルには何の思い出も感じられない。
学校の裏にはスクールバスを停めていた駐車場もあり、そこを運動場代わりに野球やバレーをやった記憶もあるのだが、その駐車場跡も何処なのか判らないほどに景色は一変しているものの、周囲の家や商店の雰囲気は少なからず当時の面影を残しているようにも感じられる。
学校は私が帰国してから2年ほどで移転したということで、この場所に学校があってから33年も経っているので景色が大きく変わるのも致し方ないところなのだろう。
しばらく学校跡のそばを見学して、いよいよ今回の旅のクライマックスである
南山外人アパート跡
に向かうことにした。
南山外人アパート跡
に向かうことにした。
少しアパートに近づいたところで、歩道橋に上がってアパートのあった南山方面を望むと、下の道路は当時とは比べ物にならないほど広くなっており、道路右側の建物の多くは真新しく何の面影も感じないのだが、道路左側の建物は古い建物が多く、確実に懐かしい何かを感じる。

良く見れば、道路右側の街路樹の大きさに対して、左側の方がかなり大きいことから、右側は最近工事されて新しくなったものの、左側はもしかしたら当時の建物がそのまま残っているのではないのだろうか。
細かな景色は抜きにしても、この角度で南山を見上げた時、まさしく35年前学校方面からアパートに帰る時に何度となく見た景色そのもので
帰ってきたぞ!
という実感を覚えさせられた。
帰ってきたぞ!
という実感を覚えさせられた。
冬は故郷の高知と比べればありえないほど寒く、スチーム暖房が学校にもアパートにも完備されていたことや、外人アパートでアメリカやドイツなど様々な国の子ども相手に世界大戦のような雪合戦をやったこと、訓練日というのがあってサイレンが鳴り始めれば電気を消して窓から見えない場所に避難する訓練があったことなど、懐かしい景色が懐かしい思い出を次々に呼び起こしていく。
酔いそうなほどの懐かしさで、35年前なのか現代なのか大脳が出鱈目に記憶の糸をつなぎ始め、アパートに近づけば同級生たちの顔がありそうな気さえする。
歩道橋を降りると、何故か通ったこともない道路で最短距離のアパートを目指すこととなった。
・・・おの・・・