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子供の頃に買った自動車のプラモデルの中で2番目に多かったのが、このトヨタ2000GTだろう。
1963年(昭和38年)頃から、2000GTの開発が進められ、1965(昭和40年)のモーターショーで発表されその後市販された、スポーツカーである。
高性能であるばかりでなく、この世界最高ともいえる車体のデザインも大きな人気の要因である。
見れば見るほど美しさを感じる。
速度記録挑戦では、3つの世界記録と10の排気量別国際記録を樹立したらしい。
当事日本の高性能車の技術は世界的に見れば、まだ低かった中でトヨタという企業が夢を乗せて開発し、ついにヨーロッパのスポーツカー・GTカーにも負けない性能とこのデザインを完成させた。

野暮な話ではあるが価格の方もヨーロッパのスポーツカー並で238万円という高価な車だったらしい。
その当事発売された日産のフェアレディーZが98万円と比べれば、いかに高価な車だったかがわかる。
高度成長となり国民の所得は上がるといっても、車好きごときがおいそれと買える値段ではなく、生産台数はたった340台(国内販売225台)であった。
今でも全く見劣りしないボディーラインや、ヤマハ製の非常に高性能なエンジン又ヤマハ色の強いピアノに使われる材木をふんだんに使用した非常に格調高い内装など、今でも買えるものなら買いたい1台である。
238万円で今でも売っているなら買いに行くが、とっくの昔に生産中止の上に人気は今でも衰えておらず、中古車で1000万円を超える物も珍しくない。

世界中の車の中でどれでも1台くれるというのなら、迷わずこの車を選ぶ。

昭和40年といえば佐藤総理の時代で、ラーメンが100円・食パン1斤40円・新聞購読料580円・大卒初任給22,980円だったというから、実に初任給の100倍という今で言えば2000万円位の自動車だったということになる。
公害が社会問題になってイタイイタイ病などが社会問題となった頃である。

いつ見ても本当に美しい!

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