この本を図書館から借りてきて、驚いた。
2005年に蔵書入りしてから自分が借りるまでに、まったく借りた形跡がない。
出版社のチラシが入った、新品同然の状態だったからだ。

まず、本書の内容を簡単に紹介するために、「訳者あとがき」から引用する。
本書の魅力は、EZLN(サパティスタ民族解放軍)運動にさまざまな形で参加する女性たちの声が
生き生きと伝わってくるところにあります。
1994年蜂起の現場に居合わせた一人のジャーナリストが、
ほとばしる情熱に突き動かされるようにしてチアパス中を駆け回って完成させた渾身のルポルタージュであり、
なかでも現在沈黙を続けている女性兵士に対するインタビューは貴重な資料となっています。

このようなジャーナリズムの良書が、ほとんど読まれていないことに
この国の問題が表れているのではないだろうか。
ジャーナリズムが死んでしまった日本のマスコミが、
遠いメキシコの国のことを取り上げることはないであろう。
しかし本書の重要性は、日本においても決して損なわれることはないと感じる。


貧困、女性差別、先住民族(少数民族)という3重の差別を受けていた、
先住民女性たちが「サパティスタ民族解放運動」に参加することにより、
自分が変わった。
女性が変わることによって、暴力をふるっていた夫が変わった。
さらに村が変わり、国さえも変えようと女性たちが運動している。

「人権」ということさえ理解しなかった、これらの女性たちが、
次のように変わっていったのだ。
「もう女性が家事や育児、あるいはブルジョワに安くこき使われるくらいしか能がないと
思い込むことがありませんように。
1月1日の『もうたくさんだ!』は、我々の村のもっとも片隅にいる女性のもとにも届くのです」
<略>
機を織りそれを売って生計を助けるようになった女性は少しずつ自信を取り戻していく。
あらゆる面でさげすまれ、馬鹿にされてきた先住民女性は、黙して捧げることに慣らされている。
内面化した劣等感は、極端な臆病心と外部や悲しみへの恐怖心を伴い、
乗り越えるのに時間を要する。
しかし機女は、自分が家族にとって不可欠の存在であると認識し、自分の作品と通して安心感を得る。

この本に書かれた先住民族女性たちの行動は、
日本で差別を受けている、
女性たち、貧困に苦しむ人たち、アイヌや在日朝鮮人の人達に、
希望の光を与えるのではないだろうか。

ぜひ、(特に日本の女性に) 読んで欲しい一冊として推薦したい。

メキシコ先住民女性の夜明け/ギオマル ロビラ
¥2,835
Amazon.co.jp


差別を受けている人たちにとって「人権」を理解することは難しいだろう。
学校でいじめを受けている子供たちに、「人権」を教えることができるだろうか?
貧困や不安定労働に苦しむ人たちが、「人権」を考える余裕があるだろうか?
アイヌや在日朝鮮の人達の「人権」を考えたことがあるだろうか?

一つの差別を許せば、さまざまな差別が引き起こされていく。
自分が「差別する側」にあると思っていても、病気や障害や貧困などさまざまなことで、
いつのまにか「差別される側」に回ってしまうだろう。

「差別」が問題なのは、差別を受けている人たちに”何の責任もない”ことだ。

「差別」と「人権」は密接に関連している。裏表と言ってもよいだろう。

自分の人権は、他人の人権、世界中の人達の人権に繋がっている。
だからこそ、世界中から「差別」を無くしていかなければならない。