先日、日曜日美術館で

マティスの特集があり

その中で


「芸術家の役割は

見たものをそのまま描きとることではなく


対象がもたらした衝撃を
最初の新鮮な感動と共に
表現することなのだ。」






これに
いたく共感しました。


私は
教員を20代でしていたのですが
教育大の学生のとき
教科教育の美術のとき
写生で
「貴方には、これが、その色に見えるのか?」
と、何度も注意されて
成績は
芳しくなかった。

どうして、見たままの色が塗れないのか
わからなかった。


私は感覚が
おかしいのか

絵が下手なのか

その時は自信をなくしそうでした。



紆余曲折あり



三次元的に見える
そのものではない何かを
感じ取ってしまって
いたんだと
わかりました。


マティスの言う
最初の衝撃

それが
普通に感じ取れてしまうのだ。



だから

見たままの色が描けない。






かつて
画家として、新聞に載ったこともあり
絵の仕事も長いことしていたけど

それで、良かったんだと思いました。



パステルアートの先生として
長いこと描いていたのだけど
パステルアートは
ほぼ、写実的なアートではないで
私に向いていたのだと思う。




北部九州豪雨の被災地のボランティアで

お手伝いしていた場所も

みんなで草取りを手伝っている風景を描こうとして

こうなってしまった。





今も


一緒にダンスをしている友だちを見てて

「あの方はかわいいピンクのイメージ」とか


勝手に浮かんでくる。


毎回、全員にではないけど…



たまたま


せっかくピンクなのに

自分でよどましている感じがするよ

かわいいピンクのイメージなのに

と、つい言ったら


その方、ピンクのオーラについて調べて

怖いくらい当たっていると

大騒ぎ!


さらに、あと、何人か

色を尋ねられて


この色かなぁと答えたら


数日後

また、大当たりと

大騒ぎ。



10年くらい前、

命式いり五行パステルアートを

描いていたのだけど

あの時も

そう言えば


依頼主に

びっくりされることが多かった。



人には五感があるけど

第六感は

それぞれ

得意分野があるようです。


わたしは、視覚が第六感として

得意だと不思議な機械で判定されたことがあります。



美しい先生の側にいくと

いい匂いがするという友だちがいるけど

彼女は臭覚が

第六感として得意なんだろうなと思います。




第六感が感動するくらい

美しいものに出会ったら

どうしても

描きたくなる。



最近は

どうしても描きたいと思ったときにしか

描けない💦




日常では




心地よい気配の色の方々の側に

ついつい、近寄ってしまう。




第六感は
大事な感覚で

本当は誰にでも何か備わっているものだと思います。

何となく好き❤️とか
何となく嫌だとか

その感覚に作用しているのかもしれません。

その何となくは

真実に近づくヒントだと考えています。