ご縁ある唄うたい
mother talkさん


久しぶりに彼女のうたをきく






生きるということの
大前提に
立ち返る時間となった。


そう、いのちは
いのちがけで誕生し
いのちがけで育てる。



母の愛は
いのちがけだ。



妊婦さんと産後の女性の
死亡の原因の一位は自死だそうだ。
かたや、虐待で子どもを死なせている原因も母親の場合が多いそうだ。




いのちがけなのだ。
一人ひとり
違う個性
親も子どもも




思い悩む
ど素人の女なんだ。
精一杯良かれと思ってやっていこうとしているんだ。




わたしも
実母のトラウマと長いこと戦った。


(四柱推命で真逆の性格だった。)




実母は自分のペースを守り抜き
わたしへの愛を貫いた。








私も運良く
三人の子どもの母となり


子育てを自分なりに
精一杯した。



私は良かれと思うことをやり抜く。

ときには
しくじる。



それぞれの子どもにとっての
母親像は違うだろう。
同じ私だけれど。



それぞれの子どもの世界に
どんな私が母親として存在するのかは
私には
わからない。




たとえ
手のつけられない
憎たらしい母親だとしても
手のつけられない
愚かな母親だとしても…




私は
愛を貫こう。



何故かというと
それが
私の自然体だからだ。
母だから
愛すべき

ではなく


愛することが
自然体なんだと
つくづくわかった。




もしも
たとえ
鬼母のように
我が子が私を思っていたとしても


わたしは
どの子も
愛しい我が子なのだ。




わたしは
わたしを通して
母の愛は
すごいということ知る。
(知ると癒される。青い手)





例え
どんな状況下でも
我が子は可愛いのである。



例え円満でなくとも
そんなことは関係ないのである。




円満なら
それは楽しいし
幸せだけど


円満でなくとも
我が子は存在しているだけて
愛しいものだなあと思う。




わたしは社会規範に重きを置かないので
子どもたちにとって
変な母親だろうと昔から思ってた。

ちょっとした負い目があったけど





今、この瞬間
正直であろう。

そして精一杯
愛そうと思うよ。





子どもたちも
大きくなり
子どもたちとの水晶の円卓会議が
なかなかする機会はないだろう。


でも
水晶の年の最終日。


いつも
子どもたちとの
円卓会議を
自分の心の中でしちゃおうと
決めて
ニヤついているのである。





それが
いのちの根本であるなら


自分らしい愛を貫くことは
ほかの様々な場面でも
大事なことではないのかな〜




その決断の根拠は
愛なのか?