世界の戦車の中  T-34 | 戦車兵のブログ

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T-34と言えば、第二次世界大戦におけるソビエト軍の主力戦車の1つであり、第二次大戦を扱った作品には頻繁に登場する。


日本映画の『戦争と人間』第三部『完結篇』においてノモンハン事件のシーンに登場。

なお、85が登場しているが、歴史考証的には誤りである。



T-34戦車の操縦席と操縦しているシーンはちょっと嬉しいね。


T-34は現存車両が多いこともあり、第二次世界大戦を扱った戦争映画には数多く登場するが、映画の作中設定年代としては登場しているのは誤っている作品も多い(モスクワ攻防戦やスターリングラード攻防戦など独ソ戦初期が舞台なのに85が登場するなど)。




ソビエト軍の戦車としての他に、外観はそのままにドイツ軍の国籍標識を描かれて「ドイツ戦車」として登場する例も多い。



「現存する車輛」の項で述べたように、大改造を施されてティーガーIその他のドイツ戦車を模した外観に改装されて登場している例も多くある。



小林源文先生の作品にも代表作『パンツァーフォー!』『黒騎士物語』他、第二次世界大戦の独ソ戦が舞台の作品には必ず登場している。


小林先生は最近ロシアやドイツで戦車を見てきたようだ。


『鬼戦車T-34』には76が登場。フィルム流用の関係上、カットによっては85が登場する。


T-34と言えばは『鬼戦車T-34』だね。



T-34の各型は世界各地の軍事博物館で収蔵品として展示されている他、百輛以上が戦争記念のモニュメントとして展示されている。



コレクターやマニアの私有物として保有されている車両もあり、非武装化されて運転可能な状態の戦車は、2万から4万米ドルの間で取引されている。



その他に、民間で主に映画製作に使用されているものもある。



第二次世界大戦を題材とした多くの映画(例えば『ネレトバの戦い』『戦略大作戦』『誓いの休暇』『プライベート・ライアン』など)では、T-34-85戦車をティーガーI戦車に見えるように改装して使用した。



これは実働するティーガーIを撮影用に用いることが難しかったためである。




これらの改造ティーガーは、改造の度合いにもよるがティーガーIにそれなりに似ている。



しかし、車体の幅の狭さ、砲塔の位置(T-34の砲塔は車体のかなり前寄りにある)、転輪や履帯の形状などから見分けられる。



T-34はその生産工場の違いと改良により、細部の異なる数多くのバリエーションがある。



戦車砲の口径によりT-34-76T-34-85に大別され、さらに(主に西側の研究家により)主な生産年、製造工場名で細分される。



なお、T-34-76はソ連ではもともと単にT-34と呼称、85 mm 砲搭載型登場後、区別のためにT-34-76と呼称されるようになった。



また、かつて西側ではT-34/76、T-34/85等と表記するのが普通だったが、ソ連崩壊以降に公表されているロシア発の資料ではT-34-76、T-34-85等となっている。



ソ連軍ではT-54が1950年に正式採用されるまで主力戦車であり続けた。


また、T-34-85型などは、第二次世界大戦後もソビエトから輸出されて各地で使用された。



例えば1950年6月の朝鮮戦争における北朝鮮軍の侵攻の先鋒は約120輌のT-34-85を装備した第105機甲旅団であった。



第一次侵攻部隊が韓国に入ってから後も更にT-34が送り込まれた。



T-34はM24軽戦車、M4中戦車、M26中戦車と戦ったが、国連軍のセンチュリオン戦車とは戦っていない。



北朝鮮軍の第105機甲旅団は、戦争初期には韓国軍の歩兵や、アメリカ軍のスミス支隊、M24軽戦車などに対して劇的な勝利をおさめた。



アメリカ軍は第二次世界大戦の時代の2.36インチバズーカを依然として使っていたが、これはT-34には無力であった。



しかしアメリカ軍のM26中戦車、航空機による地上攻撃、そしてアメリカ軍歩兵がアメリカから急遽空輸された3.5インチ・スーパー・バズーカを使い始めた事などにより、北朝鮮軍のT-34の進撃速度は鈍化した。



一連の戦闘で北朝鮮軍が大部分の戦車を失った一方、国連軍側には新しい装備が供給され続け、1950年8月になると形勢は国連軍に有利となった。



アメリカ軍による9月15日の仁川上陸作戦によって北朝鮮の補給路が断ち切られ、北朝鮮軍の機甲兵力と歩兵には燃料・弾薬・その他の物資が補給されなくなった。



その結果として北朝鮮軍は退却を余儀なくされ、多くのT-34と重火器が放棄された。北朝鮮軍が朝鮮南部から撤退したこの時までに、239輌のT-34と74輌のSU-76が失われた。



その後、北朝鮮軍の戦車とは稀にしか出会わなくなった。