半年ぐらい前から“昔ながらの床屋さん”を月一回利用しています。“昔ながら”とは、私見として金額的に大人3,000円から4,000円ぐらいで、次のようなフルコースをしてくれる理髪店を指しています。
①頭髪のカット ②洗髪 ③顔そり ④肩などのマッサージ ⑤整髪
私の利用する床屋さんは、プラス⑥耳かき ⑦鼻毛のカットなどをしてくれます。
最近、10分程度で終了する床屋さんが増えていますね。私も半年前は、手軽さや安さ、駅から近い利便性を重視してよくこのお手軽床屋さんを利用していました。
でも“ふっ”と思ったのですが、床屋さんはカットだけしにいくのかなと。
昔ながらの床屋さんは、サービスの種類が多いので時間がかかります。
その時間の中で床屋のおじさんは、お客に話しかけ、近所の最新ニュースをいろいろ教えてくれます。そして、たわいない会話のやりとりが続きます。私は、そのたわいないやりとりから自分の住んでいる街の一員になったような気がします。街というコミュニティの希薄は20年前くらいから言われていることです。昔ながらの床屋さんから、お手軽の床屋さんを利用するお客さんが増えているのもこのコミュニティの希薄化が関係しているかもしれませんね。
私としては、昔ながらの床屋さんの減少が最近の人と人とのコミュニケーションのバロメーターになっているような気がしてしょうがありません
昔ながらの床屋さん側にも課題があると思っています。
①新しいサービスが生まれていない(ように思う)
私は昔ながらの床屋さんのほんの数店しか知りませんが、最初に書いた①~⑦以外新しいサービスをしてくれるところをしりません(パーマネントや染髪など時間のもっとかかるものは、飲み物とか雑誌とか出してくれますけど)。少なくとも私の床屋を利用した人生40数年の中で①~⑦のサービスは変わっていないような気がします。このサービス進化をしていないことが現在の昔ながらの床屋さんの現状を創っている一つのような気がします(進化していないことが“昔ながら”という意見もありますが)。また、人気の斬新なサービスがあっても常連さんだけ知っていて、情報が伝わってきません。これでは、お客さんを増やすこともできませんし、業界の切磋琢磨も生まれません。進化の停滞や情報発信(受信)の不足という業界や企業は、歴史的にも衰退していますよね。
②床屋さん自身コミュニケーションをとるのが苦手?
常連さんとは、よく話をしますが、一見と思われるお客さんとはあまり話しをしない印象が強いのです。もちろん話をあまりしたくないお客さんもいると思いますが、それも話してみないとわかりません。「どんな髪型にします」だけでなくファーストコンタクトの言葉は、もう少し、どんなお客さんか感じ取れるまで対話してみてはいかがでしょうか。
そういう私も床屋さんとの会話は適度でよく、後は床屋さんに身を任せ、ゆったりとした時間と最後の爽快感を味わいたいためです。つまり、会話してほしいと言っているわけではなく、お客さんの現在の気持ちを「思いやる」という点と「思いやる」気持を表すためにお客の情報を収集するコミュニケーションの技術を身につけてはどうかということです。
世知辛く、時間に追われる現代の大人にとって、昔ながらの床屋さんは金額以上にリラクゼーションの場として貴重なもののような気がしています。銭湯のようにこれ以上衰退してほしくないと心より祈っております。
※「床屋」という言葉は、一部“放送禁止用語”になっているようですが、“昔ながら”を強調するために使用させていただきました。ご容赦のほどよろしくお願い申し上げます。
To be continue