皆さん、こんにちは! JSPの福島です!
(ディズニースタイルでは、元気に明るく、全体に語りかけるようにあいさつします。ディズニーで働いた人はこのようなあいさつをする傾向があり、他の人からは「ディズニーらしいね」とよく言われます)
これからシリーズものとして、私とディズニーの24年間の思い出を載せていきます。
東京ディズニーランドの成功のヒントや人気の秘密を私の視点から語っていきますので、楽しんでいただければ、うれしいです(*^_^*)
私の場合、東京ディズニーランドのオペレーション(アトラクション運営、特に「ジャングルクルーズ」や「デビー・クロケットのカヌー探検(当時名称)」が中心です)とディズニーの教育部門が長かったため、そのお話が中心になります。
最初は東京ディズニーランドとの出会いです。
私が、ディズニーという言葉を本当の意味で知ったのは、1982年の9月ごろでした。当時、旅行会社を中心に就活をしていましたが、現実は厳しく、ことごとく惨敗の毎日を過ごしていました。どんどん仲間が内定をもらい、募集する会社も少なくなり、「どうしよう!」と不安と焦りでいっぱいとなり、就職浪人になった半年後の自分の姿が見えてきます。
(T_T) しかし、真面目な学生ではありませんでしたから(馬場の雀荘で徹マンや、新宿ションベン横町の安い酒を飲ましてくれる居酒屋で夜な夜な過ごす一般的な学生でした)、焦ってはいても、友人と楽しい時間だけは削ることなく過ごしていたと思います。
そんな学生ですから、新聞を読む習慣はありませんでした。珍しく、朝刊社会面の下段に目をやると、
「夢と魔法の王国、東京ディズニーランド来年春オープン!!!」
~社員大募集!!!~
なんとなく興味を持ったこの瞬間からディズニーとの長いつきあいが始まりました。
自分の人生を決める「真実の瞬間」だったと今では感じています。
応募するならとディズニーについて調べはじめると案外身近な存在であることに気づきました。「白雪姫」「眠れぬ森の美女」など絵本やアニメーション映画で幼少のとき出会っているからです。皆さんも同意見の方が多いのではないでしょうか。
※この「幼少のとき出会っていた」というのはディズニー・フィロソフィー(ディズニーの哲学)を語るとき大切なキーワードになってきます。このお話はまだ先の話になりますが。
アメリカのカリフォルニア州アナハイムに実際の遊園地(今では「テーマパーク」と呼んでいますが、当時はそのぐらいの認識しかありませんでした)があることまではわかりました。しかし、通学の定期代も使い込んでいる状態です。海外旅行に行くお金などあるわけありません。まあ、受けてみれば、どんな会社がわかるだろうと軽い気持ちで応募することにしました。
そして、書類審査は通り、千葉県浦安市に試験に行くことになったのです。その試験会場は、私を不安にさせるには十分なインパクトを残したのです。 (・へ・)…
To be continue
【次回 ~建築工事現場とディズニーの夢の世界 】
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