※重要事項です
今迄の記事で「創氏改名」とは🦸♂️実際には「省令より」
と記載されているので🦹誤解を与えた事に一応お詫びして訂正します。
「創氏改名」とは、朝鮮を支配した時に朝鮮人に日本名を名乗らせた事に
用いられる語句である。
「省令により」とは、明治20年・30年・40年代に日本国内でも
省令により読みずらい事を理由として文字を統一した時に、
地元文字から現在の漢字に変えた事にも用いられる語句のようである。
法務省に問い合わせると、これも「創氏改名」であると答えるらしい?
当時、官報に公告を出して、国民に促したもので「創氏改名」と呼ぶらしい。
1.国内の朝鮮人に呼びかけたものでは、現在漢字から現在漢字の名前変更は
その申請書により本州朝鮮人と判明している🥪
2.戸籍に1回でも「金・朴」等の苗字の朝鮮名が出る者の戸籍は、
その朝鮮名より本州朝鮮人🌮
3.九州と四国は領土発見で土着の九州・四国朝鮮人で判明している🍟
4.地元平仮名文字から現在漢字のみの変更は純粋の日本人だった
海外と国内の2つの事象を区別する必要があるのです。
また、国内であっても、九州と四国を組入れた時の明治40年代の戸籍は、それらの地域の者が「創氏改名」として、朝鮮名から日本の名前に変えた時期でもあり、これには、政府の領土調査の明治期の報告書の記載及び法務省の方でも、九州と四国の当時の文字DATAを持っていることで、これらの文字が朝鮮語だと判明がつくという事です。
詳細は、請求した役場か法務省に真相を聞いて下さい
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前回までのあらすじでは、離れ小島の小さい領土の捉え方と北海道や四国や
九州などの大きな領土の捉え方とがあり、小さい領土のものは前回のブログ
の通りです。
さて、今回は以前の九州と四国の記事を再度おさらいする事にします。
同じ内容で、つまらないかもしれませんが、お付き合いして下さい。
分かりやすくする為に、結論から言うと、以前書いた通り明治時代の明治政府が、
船を開発して九州と四国に乗り込んだ時には、既に韓国人がいた?これが、
九州人と四国人のルーツだ‼船の発明時期がポイントだよ!という内容でした。
ここで現行政府が調査を進めている、船の開発時期とその性能ですが、
1905年~1910年に、海流が早いのでヨット等の帆による船や
カヌー等ではなく、蒸気を利用したタービンによる蒸気船だと思われる。
また、その様な船を想定しているので、江戸時代や安土桃山時代の戦国時代に
既に九州や四国に大名が存在していたという歴史認識を覆す、明治政府や
明治期に出来た戸籍の記述が見つかっていて、新しい歴史の事実を
突き止めよう現行政府は難航中でしょうが・・・・・
要するに、「韓国が既に九州と四国の領土を確保していたようであった」
という事です。「彼ら九州人と四国人は、韓国から領土確保の為に派遣され、
明治政府が乗り込んだ時には、既に九州と四国に居た」という内容なのです。
それが、今回の現行政府が明治政府の書類を引っ張り出し、領土の調査した結果でした。
この様に、明治政府が九州と四国に乗り込んだら、九州人と四国人の
ルーツである人が存在していて、その者は韓国の人だった」ということです。
これを、日本政府は領土を確保しつつ、その者らの面倒を見るのです。
これが、九州と四国が領土と人が日本に組入れられた話です。
この九州は、6つの地域に分かれていたようで、一覧で示すと・・・・・
1、福岡県と同じような地域
2、長崎県と佐賀県を合算した地域
3、大分県と宮崎県の都農町までの地域
4、熊本県の芦北町までの地域
5、宮崎県の都農町から鹿児島の大隈まで(東側)
6、熊本県の芦北町から鹿児島県の薩摩まで(西側)
地域はこのようになっていた事と言語は地域別にみると
1は漢字(中国語)文化。新たな情報では中国名や韓国名の文化
2も漢字(中国語)文化。新たな情報では中国名や韓国名の文化
3も漢字(中国語)文化。新たな情報では中国名や韓国名の文化
4も漢字(中国語)文化。新たな情報では中国名や韓国名の文化
5も漢字(中国語)文化。新たな情報では中国名や韓国名の文化
6も漢字(中国語)文化。新たな情報では中国名や韓国名の文化
即ち、九州の言語は全て漢字(中国語)若しくは韓国語の漢字文化だったようです。
これらの言語は、名前に使用している事と、九州と四国の古い戸籍を見れば、
朝鮮語で名前が書いてあり、日本政府はその数種類ある言語表(当時の朝鮮語)
の情報を持っており、これを解読できるのですが、前述の地域の者は「省令により」
として朝鮮名から日本名に改名しているという記載がされている。
つまり、前回の記事でも書いた通り、1番最初の行に「領土組入れ・
領土発見により」みたいな記載により、領土組入れの理由で帰化させている事の
記載内容と「省令により」と書いてあるケースが多いという事です。
つまり、韓国名から日本名に変えているという記載があるようです。
領土組入れによる記載は、「どういう理由で領土組入れになったか」の理由は
国の機関である法務局または、その地方自治体でも周知の事でこの2点の記載で、
どのような事か分かるということになるのです。
これと、前述の明治政府の九州と四国の当時の状況等の調査報告書により、
戸籍調査との両方で、九州と四国がもともと韓国人だったという報告が
領土の再調査で表面化したのです。
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ここからは、「省令により」について説明不足の面が御座いましたので、
少々補足します。
戸籍調査の
「省令により」において、明治20年代戸籍は読み難い国内の各地域の
文字からの変更で日本人🐯30年代戸籍の変更も同じ🐮40年代戸籍は
苗字の変更だけで日本人🌭九州と四国の変更は朝鮮語からの変更なので
ダメですね❓昔は各地域の文字が存在するので請求した役場で聞いてね🍛
戸籍調査の
「省令により」において🧙♂️明治20年代戸籍は国内の各地域の文字から
現在の漢字への変更で日本人🦸♂️30年代戸籍も同じ🦹40年代戸籍は
苗字の変更だけは日本人🫂九州と四国は領土調査より朝鮮語からの
変更なので駄目👯昔の各地域文字は請求した役場が知っているので
聞いてみて下さい❓
地元文字は、地元の人が頑なに良い字(昔の運を維持していて頭が良くなる)
として地元文字にこだわった可能性もありますね!
何にしても、その地域の人は、昔の運を維持する方がアイデンティティーが
あるとして良しと思ったのでしょう。これは、私なりの持論ですが・・・・・
この様なことで、地域文字は読み難いから現在の漢字に統一するようにと
「省令により」の政府の官報による公告を20年代・30年代・40年代等に出して、
全国民に呼びかけ、全国一律の文字としようとしましたが、
それと逆行して、前述しました様に、地元文字の維持を良しとした
風潮もあったかもしれません。
東京等の首都圏ではなく、地方に多いと思われます。
ここは訂正して、むしろ、大都市圏の方が多いようです。
大都市圏ですと、氏名変更を明治期から大正期にかけて1回目、
大正期から昭和40年迄に2回目を変更している可能があります。
「創氏改名」のパターンを解明した🥪九州と四国の件は別として🍔
1つ目は、明治期から大正期に朝鮮名を経由して、昭和40年代迄に
日本名に2度目の変更🍟2つ目は、昭和40年代迄に日本名に1度目の
変更をしている🥞この場合、いずれも日本人から朝鮮人への錯誤を
理由に申請している点である
東京都の「創氏改名」のパターンが判明した🍔明治期から大正期に
日本名から朝鮮名に名前変更をしている🍟この時の名前変更では原因を
錯誤として申請しているらしい🧋そして大正期から昭和40年代迄に再び
日本名に創氏改名として変更しているケースが都民の60%程度存在する🌯
「創氏改名」の焦点は🍔申請理由を今迄の日本人を打消し朝鮮人として
申請した者が多く🌭この時点から多分法律上の朝鮮人扱いなのだが🌯
現在では本人も気が付かず日本人だと錯覚し、そのまま潜伏している
ケースだ🍟このような場合、国籍は何処にあるのか確認する必要性が
あるのでは・・・・・
「創氏改名」の1回変更の事例だが🍔明治42年以降からの現在漢字から
現在漢字への名前変更だが🍟申請理由を日本人ではなく朝鮮人として
申請した者が多く、時期は九州と四国の申請と同じである🌭この時点から
朝鮮人の日本名の変更「創氏改名」の扱いである🌯古く、全国に及ぶケースだ
「創氏改名」の1回変更の事例だが🍔明治42年以降から領土発見による朝鮮人の
九州と四国の申請と🍟一緒に、理由を今迄の日本人を打消し朝鮮人として
申請した者が多く🌭この時点から多分法律上の朝鮮人扱いなのだが🌯
現在では本人も気が付かず日本人だと錯覚し、そのまま潜伏しているケースだ
「創氏改名」の2回変更の事例だが🍔明治期から大正期に日本名から
朝鮮名に名前変更をしている🍟この時の名前変更では原因を錯誤として
申請している🌭この時点で朝鮮人として扱われている🧋そして大正期から
昭和40年代迄に再び日本名に文字道理「創氏改名」として変更している
ケースだ🌯大都市に多いらしい
最新情報です!
信じられませんが、東京都の約150万人、埼玉・神奈川・千葉の
約120万人の最初の戸籍には🥙「創氏改名」の戸籍が出る
という情報があります。
#政治 #領土