~ぶらぶら江戸散歩~vol.66『先斗町~番外編』 | 文化家ブログ 「轍(わだち)」

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江戸開府より約400年。東京下町には、江戸の息吹が今なお息づいております。
身近な江戸をぶらぶら散歩。新富に生まれた私、中西聡。
八丁堀・日本橋を中心に、江戸の町のちょっとした情報をお届けいたします。

今回お邪魔しましたのは、「先斗町」。
またもや番外編にてお届けいたします。どうもここ最近、はっきりしないお天気に江戸下町近郊をぶらぶらする気にもなれず。
なんて言い訳をしておりますが、京都も当然、江戸とともに魅力溢れる場所が多く点在いたします。

今回ご案内する「先斗町」(ぽんとちょう)は、言わずとしれました京都を代表する花街。
場所は、祇園からもほど近く、鴨川と木屋町の間に位置いたします。

京都駅からは、京阪電車の「祇園四条駅」が最寄駅ですが、私はぶらぶらと京都駅から歩くのが常であります。
本当に京都は碁盤の目とは良く言ったもので、横に走る道が数字ですので、たいへん良くわかり易いです。

例えば、京都駅は八条、そこから北に上がるごとに数字が少なくなっていきます。
弁慶と牛若丸が勝負をしたという五条大橋は、まさに五条にかかる橋。従いまして、先斗町の最寄の四条は、さらに北という計算になるわけです。

さてさて、先斗町。なぜ、「ぽんと」と発音するかの正解はわからないようです。

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先斗町の看板には、下記が由来として書かれておりました。抜粋いたします。

この地はもと鴨川の州であったが寛文十年(千六百七十年)に護岸工事の為、埋め立て石垣を築き町家が出来て、これを新河原町通りといった、その後三条一筋南から四条まで、即ち南北600米、東西500米にわたる地域に人家が建ちならび俗に先斗町と呼ぶようになった、<中略>、先斗町の呼名は、ここの人家がすべて川原の西側にたち、先ばかりに集中していたところから先斗町と呼ばれたともいい、ポルトガル語(PONT)英語の(POINT)の発音によったとも言われる

ポルトガル語が語源と言われればロマンがありますが、先ばかり見ていたというのでは、少し心外にも思います(笑)。

先斗町、いらした事のない方に説明するのにうってつけのイメージがございます。
私は、よく品の良いゴールデン街!!と申しております。何しろ横幅が2~3メートルくらいの小路に、左右所せましとお店が軒を連ねているのです。

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鴨川に面した側に構えるお店は、夏ともなると川の上に床を出し、暑さをしのぐ風流な納涼床が出現いたします。のんびりと対岸よりその明りを横目で見ながら、鴨川を歩くのもとても良いものです。

木屋町のすぐ近くに、幕末好きな方なら、誰でも目をとめる石碑を発見いたしました。
それは、「坂本龍馬寓居之跡」。江戸時代はお酢屋さん。ここを京都に滞在していた頃、龍馬は定宿にしていたそうです。

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龍馬が殺害されました「近江屋」。その場所は、木屋町通りを四条に向かって歩いたところにございます。おそらく、定宿の酢屋からは歩いても10~15分程度。
実際に足で歩くと、幕末が本当に身近に感じました。

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さて、ご飯屋さんや飲み屋さんが並ぶ、先斗町で、私がおすすめのお店がございます。
「うさぎのアトリエ ぴょんぴょこぴょん」
和食器や和雑貨を取り扱うお店ですが、お店の名前通り、うさぎグッズが豊富に扱っているお店でもあります。
私もついつい、炬燵でだんらんをしているウサギの何とものどかな置物を衝動買いしてしまいました。

それではぜひ、皆さんも機会がありましたら『先斗町』をブラブラ散歩してみてください。


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