ステイトシアターのコンサートは私にとって本当に良い機会だった。
コンサートの1部と2部の合間(約30分間)に隣の同世代夫婦と話に花が咲いた。
彼らは思いのほかフレンドリーで、私は1988年に日本で本家本元のピンクフロイドのコンサートを目の当たりにしたことを話したが、それをとても羨ましがった。
「ピンクフロイドが日本に行ったなんて信じられないわ!」
2部の開始まで会話は尽きず、話題は私のオーストラリア移住やラグビーにまで及んだ。
「どうして日本からオーストラリアに移り住もうと思ったの?」
「うーん、ラグビーかな」
ラグビーに関する英語なら、何を聞かれても無難に返せると思い、私はそう答えた。
案の定、会話は私の予想通りに弾んだ。
かつてラグビーのプレー経験があると言う夫、そして、父親は名のあるコーチだったと言う妻、父親の名前を聞いたが、第一回W杯以前のコーチの名前を私は誰も知らなかった。
「近年、ラグビーが変わってしまい面白くなくなったよ! 昔の方が絶対に面白かったな! ユニオンがまるでリーグのようになってしまって観る気がなくなったよ!」
*ユニオンは日本でプレーされているのと同じラグビー、リーグは13人制でプロスポーツとして発展し、端的に言えば、リーグはルールが単純で理解しやすく、展開よりも攻撃側が防御側への激しい当りを繰返しながらチャンスを作るのが一般的な戦法。
長くラグビーユニオンを愛して来たオージーのストレートな言葉が胸に突き刺さるようだった。
私はワラビーズ全盛期の至宝 "キャンピージー" を日本に連れて行ったことを話した。
夫は隣の奥さん越しに私の顔を覗き込むようにして私の話に反応した。
「今でも最高のプレーだと思うシーンは・・・」
そう言ってから、彼はちょっと間を置いた。
ふと、私の脳裏に91年W杯準決勝のあのシーンが浮かんだ。
「オールブラックスを相手にキャンピージーのホランへのパスで取ったトライだった!」
おっと、俺も同感だぜ!
私は肩越しにパスをする真似をしたが、それを見た2人は手を叩いて喜んだ。
たった一組のオージーカップルとの会話に過ぎなかったが、同世代のオーストラリア人ラグビーファンも私と同じことを考えているのを知り、なぜか嬉しかった。
まさか、ピンクフロイドの音楽の合間にそんな会話が出来るなんて・・・
やっぱりここはオーストラリアなんだ!と思える瞬間だった。
コンサートの後半を楽しみ、アンコールの「アナザー・ブリック・イン・ザ・ウォール」を共に立ち上がって合唱し、「また、どこかで会おう!」と握手をして別れた。
最寄りの駅タウンホールからノーザンラインに乗り、各駅停車で約1時間弱、終電に近い列車はガラガラで、素敵な時間を思い返してみたが、バンドの演奏は一切浮かんで来なかった。
やっぱりコピーバンドのコンサートなのだと思いながらも、ほんの30分ほどだったが、同世代の夫婦との楽しい会話、特にラグビー談義だけはハッキリと私の記憶に残っていた。
確かにラグビーは随分変わってしまった。
長年コーチング・セミナー等を開催して来たが、当時の指導内容はもう時代遅れに違いない。
熱心にセミナーに参加してくれたコーチが、今も現役で頑張っている姿を見るのは実に嬉しいが、彼らが今も尚、新時代のコーチングを学び続けているのを思えば頭が下がる。
当時は最も進んだコーチングを自負していたが・・・
ジャパンが南アを撃破し、2019年W杯日本大会でも8強の結果を残し、最も進んだコーチングやトレーニングを具現化させているのは間違いなく "ジャパン" に違いない。
そう、世界中どの国を見ても、"ナショナルチーム・ファースト" は、あるべき姿なのだ。
ジャパンを応援するファンも激増していることだろう。
それは、スタジアムでジャパンのジャージーを身に着けたファンの数を見れば一目瞭然である。
その意味からも、1ヶ月に迫ったフランスW杯は重要な試金石になるだろう。
7月にオールブラックスXVとジャパンが対戦し、NZ代表予備軍とアナウンスされていたが、あのチームは "オールブラックスジュニア" ということなのだろうか?
1968年に全日本(ジャパン)は遠征先のニュージーランドでオールブラックスジュニアを23-19で破ったが、私にとってそれは伝説と言うか、ラグビーの神話のようなものだった。
あの試合で4トライを記録した坂田先生に出逢い、大西鐵之祐監督の下、選手全員の意思統一や集中力の結集等、直に聞いたその熱い話に私は興奮し魂を揺さぶられたことがあった。
結果、試合の画像や動画(フィルム)をNZやシドニーで本気で探したことがあった。
ジャパンが世界の強豪と肩を並べ互角に戦えるようになるのは素晴らしいことだ。
今やファンの意識はW杯8強以上が当り前となり、SNSではW杯優勝にまで飛躍したコメントも見掛けるが、客観的な見解として、それが今のジャパンの立ち位置なら、無論オールブラックスXVの2試合には勝たなければならなかったはずだ。
もちろん、ファンのジャパンへの期待や鼓舞激励の気持ちは分かるし、選手やスタッフの世界一厳しいと言われる虎の穴の努力も理解している。
ただ、W杯開幕を目前にして「課題が見えて来た」「まだ準備段階なので」・・・
そんなコメントを見て「縦縦横横」「145対17」の時代に逆戻りしないことを願うばかりだ。
もし、オールブラックスジュニアがオールブラックスXVと呼び名を替えただけなら、55年も前にジャパンは日本人だけのメンバー、それもアウェイであの強豪チームを倒しているのだ。
当時のジャパンとオールブラックスの実力差は、今とは比べ物にならないほどだったはずだ。
今こそ謙虚になり、55年前のメンバーに話を聞くのも一考に値するのではないだろうか?
映画「インビクタス」には、第3回W杯で南ア・スプリングボクスを優勝に導いたキャプテン "フランソワ・ピナール" が、大会の準備中にマンデラ大統領が収監されていたロベン島監獄にチーム全体を連れて行くシーンが描かれている。
どんな過酷な境遇にも負けることなく生き抜いたマンデラ大統領の足跡と不屈の精神、その現実を目の当たりにすることが、選手一人一人の心に火を点けた感動的なシーンだった。
そんなことを考えている内に、列車が終点の駅に到着した。
もしかすると、オールブラックスXV戦の前にそのような機会があったかもしれないし、あくまで列車で移動中に私が考えた想像の域であることを記しておく。
それと、パシフィックネーションズカップについては次回書きたいと思う。
我家の最寄駅はこの一つ先の駅なのだ。
午前0時を過ぎており、次の列車までは随分待たなければならないし、バスはもうない。
タクシーが何台も並んでいたが、私は3kmの夜道を歩くことにした。
忘れていた訳ではないが・・・
もう前日になってしまっていたが、この良き日は父の33回目の命日だった。
今年、私は父の享年を超えた。