日本遠征2 ハンターズヒル・ジュニアラグビークラブ | オーストラリア移住日記

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08年、シドニーのハンターズヒル・ジュニア・ラグビークラブが日本遠征を行った。

長年、私は日本でラグビーのコーチング・セミナーの開催を重ねて来たことから、この遠征を日本の多くのコーチ仲間が快くサポートしてくれた。

8日間の滞在中に7試合という強行軍だったが、あらゆる面でスムーズな遠征となった。

いつものことながら、ラグビーの仲間達の縁には感謝するばかりだ。 

親善試合も然ることながら、試合後のファンクションが少年達や帯同した父母を喜ばせた。

〈アフター・ゲーム・ファンクション〉

古くから、ラグビー界では、試合が終了すれば "敵味方無く仲間同士になる" という意味から ”ノーサイド” という言葉が用いられ、互いの友情や絆を深める意味合いからファンクションが行われるが、国際交流という観点で、双方の少年達に素晴らしい思い出になったはずだ。

 

特に、この遠征は13歳の少年達の日本遠征であり、私は試合結果云々よりも両国の少年同士の交流の場になることに焦点を置きたいと考えていた。

ただ、遠征の予算は限られており、ファンクションの有無は日本側任せだったのだ。

朝、成田空港到着、その午後には「明大中野八王子中学ラグビー部」との試合が組まれていた。

私は選手の体調を考え、到着の日は軽い運動だけにしたいと提案した。

しかし、結局、クラブ側の要望から、その午後に2試合行うことになった。

 

早稲田クラブの選手達も駆け付けて、三つ巴の試合になったが、選手達は元気だった。

説明はしていたが、初めての砂のグラウンドでの試合に、選手達も応援の父母軍団も驚いた。

試合前には校長の歓迎の挨拶や両国国歌が流れ、試合後には心のこもった手作りのファンクションが催され、シドニーから日本に到着したばかりの選手や父母全員の疲れを吹き飛ばした。

試合では闘志むき出しの顔をする選手達、それがファンクションでは13歳の少年の顔に戻る。

少年に対する指導や教育も含めてのことだろう、試合毎にキャプテンが替わる。

この試合のキャプテン "ロッキー" は、立派にキャプテンの大役を果たし、ファンクションでのキャプテンスピーチも立派なものだった。

きっとこの瞬間を一生忘れないだろう。

 

桐蔭学園中学との試合は、土砂降りの中でキックオフとなった。

雨と泥んこのグラウンドでの試合は初めての経験だったはずだが、ハンターズヒルの少年達はそんな泥んこの試合を逆に楽しんでいるように感じられた。

 

応援の母親軍団が、どのような反応を示すか?正直気になった。

「使用前、使用後の写真を撮りましょう」 

選手達にカメラを向ける父母のリーダー "ケリー" の言葉に他の母親も大笑い! 

全員の表情が急に明るくなった。

桐蔭学園側も、ありったけのタオルを用意してくれ、選手達はチャチャッとシャワーを浴びて、何事も無かったような少年の顔でファンクション会場に集まって来た。

4月後半とは言え、冷え切った身体(特に母親軍団)を、心の籠ったファンクションが温めた。

リーダーのケリーはこのフレンドリーな対応を「日本の文化」と評した。

ケリーはこの遠征の言い出しっぺだったが、夫がプロの写真家でケリー自身も写真はプロ級、ケリーの父親はGHQの写真担当で、原爆後に初めて広島に入った外国人だったそうだ。

その当時、まだ ”おもてなし” という言葉は脚光を浴びていなかったが、まさにその言葉に相応しい心の籠った対応であり、ケリーの言葉は、感謝をこめた心からの評価だった。

 

”ラグビータウン” 熊谷で行われた試合は、初夏のような天候に恵まれ、フカフカの天然芝に感動しながら、選手達は思う存分に力を発揮し、父母もその観戦を愉しんだ。

ファンクションは熊谷ラグビー場内にある公園で行われたが、ラグビースクールの父母が持ち寄った手作りの日本料理に舌鼓を打ち、双方の選手達が入り乱れて夕方のひと時を愉しんだ。

バーベキューが文化のオージーにとって、野外でのカジュアルなファンクションは最高だった。

東京巣鴨の「本郷中学」との試合には地下鉄で向かったが、それも彼らには良い体験だった。

そして、グラウンドでは誰もが初めて見て触れる人工芝に驚いた。 

それにしても、少年達はこの遠征中で "幾つの初めて" を体験したのだろう?

 

スタッフ兼父親として参加したARU(豪州ラグビー協会)公認レフリーイアンがレフリーを担当。

わざわざオーストラリアの公認レフリーのユニフォームを用意して来たイアンの公平且つプロの采配は、双方のラグビー関係者に良い印象を与えたはずだ。

本郷中学でも、母親グループが手作りの温かいファンクションを用意してくれていた。

選手同士の交流はもちろん、母親同士の交流がとても盛り上がり、少年ラグビーに母親の理解の大切さを確認し合う良い機会となった。

やはり母は強しである。

最終戦は、東芝府中工場内のグラウンドで行われた府中ラグビースクールとの試合だった。

心地良い春の陽射しを受けながら、ハンターズヒルの誰もが、日本の最高の季節を満喫した。

「えッ もう最終戦なの?」 

皆が口々に私に言葉を投げ掛けた。

 

ファンクションはそのままグラウンドの芝生の上で行われ、さながらピクニックのようだった。

国際試合よろしく、最終戦だったため選手同士がジャージの交換をした。

オーストラリアの少年達が、胸に漢字で名前の書かれているシャツを喜んだのが愉快だった。 

思い出を胸いっぱいに、彼らはその晩のフライトでシドニーに向かった。


この遠征を2回に分けて描くつもりだったが・・・

試合の他にも、箱根や東京(築地、上野、アメ横、銀座他)を観光したが、箱根では "ユネッサン” 温泉 に1泊し、数々の変わり種温泉に大はしゃぎ、大人達は夜のカラオケで盛り上がった。

 

このブログでは、心のこもった "手作りのおもてなし" の素晴らしさやその価値について描きたかった。日本でラグビーを培った者として、また日本人として、私は誇らしかった。

 

現在、この遠征に参加した少年達は19~20歳になり、それぞれが自分の道を歩んでいる。

赤い髪のフルバック "アンドリュー" は、遠征中随所に大器の片鱗を見せていたが、20歳以下オーストラリア代表やスーパー15 "ワラターズ" の予備軍にも選ばれている。

近い将来のワラビーズ(オーストラリア代表)と言われている。