F1.0の功罪 | 独学の道Ⅲ

独学の道Ⅲ

自分で自分を変えることは、到底無理なことかもしれないが、それに望む気持ちの自力論は高尚で偉大である。仮にその結果が甚だ振るわなかったとしてもだ。By幸田露伴(努力論言葉より)

パーハイすみません。チーン

 

今日も見知らぬ世界を遠くから想像して語りたいと思います。ポーン

 

という妬みともいえるガーン、憧れともいえる存在ラブ・・・

 

それがレンズの絞り開放という魅惑びっくり

 

 

私も好き者だからして、F1.4単焦点とF1.8単焦点と聞けば、すぐに手を出して借金地獄に陥るのですが

 

幸いにして、SAマウントのカメラには、ムリクリにでもマウントアダプターを介して、

 

または魔改造などをすれば使用できるのでしょうが、私にはそういった高度なテクニックを

 

持ち合わせていないところが幸いしてか、シグマ製のレンズしか手を出す理由はありません。

 

シグマもF1.2という開放値のレンズを発売しましたが、私にとってF1.4もあれば十分であり、

 

これ以上ではピントの合う範囲が狭すぎて・・何だかわからなくなっちゃうと思っているので、

 

気にも留めませんでした。

 

しかし、F1.0やF0.95という響きは、なにやら見て見たくもなる魔力を備える単語です。

ボケ(BOKEH)という表現方法をどのように捉えるか?

 

人によっては立体感、臨場感、距離感、非現実感、写真ならではの表現・・・

 

色々とあるでしょう。

 

背景ボケを作るなら望遠レンズで十分だし、

 

被写界深度をそれ程までに要求する被写体がどれだけあるでしょうか?

人物や動物の眼だけを強調するのなら、それもアリかと思いますし、ろうそくの火の灯だけを写して

 

それ以外をぼかすのなら分かります。

 

書道で云う所の空間の美しさとでも云えばよいでしょうか?

 

 

写真をアート作品として、一つの物を日の丸構図で表すのならば、それでよいのですが、

 

記憶・記録としての写真ならば、ボケよりも反対に解像度が尊ばれるし、

 

そういう意味でカメラと写真の活用に於いて考えて見るに、

 

レンズの基本はF2.8があれば充分ともいえるはずなのです。グッ

 

 

F4.0あれば立体感を表現できるし、何故F1.0が必要なのか?

 

 

星空を撮るのならば意味はありますが、シグマのカメラのようにISOの限界値が低く

 

シャッター速度を稼ぎたい!というのならばそれも有りかと思いますが、

 

現代のカメラはISO6400もありますし、開放値を低くするメリットが見出せません。

 

唯一見出せるとするのならば、レンズの所有欲を満たすことぐらいでしょうか?

酔っ払い

 

しかしながら、一旦F1.0のボケを目に癖付けてしまうと、

 

写真の撮り方のバリエーションが限られてくるかとも思います。

 

F1.0とかF1.4を頻繁に多用して、それが良い写真なのだと錯覚し始めると思うのです。グッ

 

つまり、多様な撮り方が出来なくなってしまう危険性も孕む訳です。滝汗

 

 

そして、最大の欠点は、F値の低いレンズは標準域レンズのみに限られており、

 

広角域や望遠域でそれが無いと使えないという人間を育成してしまう事にもつながりかねません。ガーン

 

 

しかしながら、唯一の救いは、オートフォーカスが無いこと、つまりマニュアルフォーカスが故に、

 

一般人が手を出しにくく、プロのアート作品作りに向くという事でしょうか。ガーン

 

 

 

ナショナルジオグラフィックスの写真の撮り方を見て見ると、

 

 

何故だかレンズは絞って撮ると書いてあります。

 

最初は・・・なぜ?と思いました。ポーン

 

それは使用しているカメラの種類や表現方法なのかとも思いましたが、そうではないのです。上差し

 

 

絞ることにより、ISO感度の重要性や写真のザラメき具合の質感やリアリティー感が出てくるのです。

 

そして、何よりも伝えたいことが伝わる写真になるのです。グラサン

 

 

この雑誌の中で使用しているカメラは昔のライカで、APSサイズより小さいセンサーで、

 

マイクロフォーサーズかスマホサイズのセンサーなのでしょうけれども、

 

それが故に成せる、絞りを絞ってISO感度で調整する業なのかもしれません。ウインク

 

 

 

 

私も実は、高校生の頃は好んでISO800のフィルムを購入していました。

 

写るんですのISO100が綺麗に撮れるとは、想像だにせずに・・・です。

 

ISO感度が高い方が綺麗に撮れるものとばかり思って錯覚していたのです。笑い泣き

 

 

戦争写真はどれもISO800であり、あの白黒フィルムの粒子感がたまりませんでした。

 

そして「あーいう戦争カメラマンのプロが使うのはISOの値が高い方がいいのだ」

 

と錯覚し始めたのです。

 

 

そう考えて見るときに、ナショナルジオグラフィックスの写真の撮り方は、

 

そういう意味では、現代の日本の写真家に戦争を仕掛けていると云っても過言でないかもしれません。

 

すべてが逆なのです。

 

また、面白いことに、ストロボの使い方が面白くて、後幕シンクロという表現方法も紹介しています。

 

 

通常シンクロを追い求めれば、どのシャッター速度でもストロボ撮影できる

 

レンズシャッターのカメラが欲しくなるところですが、

 

フォーカルプレーンシャッターでも、後幕シンクロを使う事でアート表現が出来るという提示は

 

助け舟でもあるように思えました。

 

このようにF値を絞ることによって、面白い写真も撮れますよという紹介の仕方は、

 

ナショナルジオグラフィックスならではだと思い、さすがだと思わせられます。

 

 

日本のカメラ雑誌で、このような紹介の仕方があるでしょうか?

 

または言っている意味の分かる雑誌編集者が居るのでしょうか?

 

とはいっても、メーカーの思うような、消費者が魅力的に見えるように紹介するには

 

致し方ないのかもしれません。笑い泣き

 

 

レンズはF値が低い単焦点レンズこそ正義のスペックであるかのように、

 

軽いほど正義であるかのように紹介し、純正こそ絶対であると云わんばかりに・・・。

 

カメラに於いては、センサーサイズが大きいほど、画素数が多いほど、解像度が高い描写力こそ

 

シャッタースピードが速いことこそ、ボディーサイズが小さいことこそ、軽いことこそ・・・

 

正義であるかのように紹介しまくりますが、本当にそうでしょうか?

 

 

そう疑問的、懐疑的にカメラ業界を思わせる挑戦的技法の数々が、

 

ナショナルジオグラフィクスの写真の撮り方シリーズにはあると思います。上差し

 

 

今後も、売りの一つとして、またはカメラ初心者・中級者の消費者のニーズの対象として

 

F値の小さいレンズは設計されて、それこそが正義・ベストバイとばかりにメーカーは発売し

 

消費者は買い求めるでしょうが・・・カメラはテクニックが無ければ、

 

いくら良いレンズと高額なカメラを使用しても、良い作品は生まれないのです。アセアセ

 

量産されるのは現場記録写真だけなのです。ガーン

 

 

私もブログを書きながら、あれから40年も経ったのかと・・・・時間の割にはテクニックが上達せず

 

知識ばかりが増えていき、現場でテクニックを使用しないことが悔やまれ、

 

そして、それが故に、未だに数打ち当たる撮り方で、200枚に1枚の奇跡が生まれるのだと信じて

 

シャッターを切りますが、実はそうではないらしいことに気が付くのです。笑い泣き

 

何を撮りたい。はてなマーク

 

どういう見せ方にしたい。はてなマーク

 

その為にはどういう撮り方が良いのか?というように

 

撮りたいから撮るのではなく、見てもらうためにどう撮るかを考えることが、

 

撮るというカメラ操作なのだと、40年を経て気が付いてきた次第です。zzz

 

 

つまり、F1.0を目指せば、その魔力に執り憑かれて、私のように

 

いつまでもテクニックが上達しない危険性も孕むかもしれないし、滝汗

 

そう云った誤解したF値信者人間を多量に量産してしまうかもしれません。

 

 

F1.0の写真をみて感動しますか?

 

得られるものはありますか?

 

 

得られるものは、ただボケが綺麗だという事だけです。おーっ!

 

 

 

そう云った内容を、代弁して下さっている方の動画がこちらです。

 

 

確かにこの方の動画では、α7Ⅲよりもアイフォンの方がクッキリとした映像で、

 

視聴者が求めているのは、ボケた眠い表現ではないことに気づかされます。

 

これからはレンズパワーによる表現力、カメラセンサーの大きさによるボケという映像表現ではなく、

 

ストーリーや悲壮感、コントラスト表現、緩急をつけた映像表現、編集技術などが必要であり

 

前者は不必要に近いものな訳です。ショック

 

 

 

だからと云ってカメラが不必要という訳でもないのですが、OK

 

 

動画に於いては、一眼カメラもアイフォンに負けないような映像作りが出来るように頑張ってほしいという

 

余地を残す、カメラメーカに挑戦状を叩きつけるような動画構成になっています。グッ

 

 

テレビの解像度や、パソコンのCPUやGPUといった総合的な能力の底上げが無ければ、

 

今のところアイフォンで世の中は回ってしまうのです。

 

 

しかしながら、将来への財産として私はハイスペックな画像データーを2018年より記録し続けており

 

今というよりも30年後に見返した時に後悔しない為のデーターなのだと自分に言い聞かせていますが、

 

今という時の上では、アイフォン画質と1000万画素があれば、事実上、

 

事足りてしまっているというのも真実な訳です。

 

 

そんな風に思いながら、仕事の合間に心の思うがままに書いていて、

 

自分でも、自由人だなと呆れてしまっているのですが・・・・

 

カメラ好きの人にとっては、なかなかにして共感していただける話ではないだろうかと思って

 

書いてみました。パー

 

本日もご覧いただきましてありがとうございましたお願い

 

今日は昨日ブログを休んだので、3部構成でアップロードしたいと思います。www

 

アルコールパワーで、ちょっとやり過ぎ感と饒舌感が否めません。笑い泣き