また今日も、チャレンジングなタイトルです。
本日も、2冊目のユダヤの本を乱読しています。
この書籍は、ほとんどの日本人は当たり前に概念として捉えているものがほとんどで、
これと云って特筆する内容はありません。
逆に言えば、我々日本人はユダヤ的文化や思想を
潜在的に引き継いでいるという事でもあるかと思います。
このユダヤタルムードという習慣術の中で面白い例えがあったので、コピーして紹介します。
-------------------------------------------------
---------村で百姓が畑を耕していた。
ある日、一人の見知らぬ男がやってきて、百姓に言った。
「もう何日も食べていないんだ。このニンジン、一本をくれないか・・・・」
百姓は可哀想に思って、一本やると、男は喜んで帰って行った。
ところが次の日また男がやってきて、同じくニンジンをくれという。
そこで百姓が今度はダメだと言うと、男は、
「昨日くれたのに今日くれないとは何事だ!」と言って、百姓の頭をゴツン!と叩いて
勝手にニンジンを持って行ってしまった。
完全なる泥棒行為であった。しかし、争いごとが嫌いな百姓はそんな酷いことをされても
男をどがめなかった。
それをいいことに、次の日もまた男がやってきて、さらに驚くべきことを言った。
「やい、百姓!このニンジン全部俺によこしやがれ!」
当然百姓は拒否した。すると男は持ってきた棒で百姓を叩いて、半殺しの目に遭わせた。
命の危険を感じた百姓は、早速村長の所へ行って相談する。
「かくかく、しかじかで、困ったことになりまして・・・・・」
当然手立てを考えてくれるものと思いきや、村長は「この大バカ者めが!」と
言って百姓を叱り飛ばした。
「大切なニンジンをタダでやるとは何事じゃ!それから最初に頭を殴られた時に、
なぜ殴り返さなかった。その時殴り返しておけばこんな事にはならなかったはずじゃ。
今度その男が来たらこの棒で思いっきり殴ってやるのじゃ」
そう言って村長は百姓に、長い棍棒を差し出した。
次の日、百姓が勇気を奮って畑で棒を持って男を待ち構えていると、
案の定、「やい、百姓・・・・・・!?」
と、そこまで言いかけたところで、男は青い顔をして一目散に逃げていってしまった。
百姓が決死の覚悟で、「ちきしょう、ニンジンを返しやがれ!」と叫んで棒を振り回して、
男に襲い掛かったからである。
以来男は、二度と百姓の前に現れる事はなかったーーーーーーーーーーーーー。
-----------------------------------------------------
現在の日本は平和主義、温情主義が長い事続いており、
常識の通じる相手であれば低姿勢な態度によって、周りと強調していけるのですが、
お隣の国々のように、指導者が変わってから、犯罪行為を罪を犯しているという意識を
持たない相手に、これは犯罪ですよと!抗議し、認識してもらう場合には・・・
遺憾砲というこれまでの低姿勢な態度では通じませんし、
その低姿勢が、さらに相手の攻撃性を高めてしまう事もあります。
ここはひとつ
こん棒という驚異を持つことによりおとなしく引き下がらせるという事も
今後必要になってくるかもしれませんね。⇒政治家さん頼みます!
物語のように泣き寝入りというのは、イコール侵略を許してしまうと同じ事です。
改めて隣国との関係性を見直していく必要があるのではないかと・・・
ユダヤの一文を読んでいて思った次第です。
こんな例えを出さなくても、大方の日本人は分かっているのも・・・・・
ユダヤの教養と素質を継承しているからに他なりません。
釈迦に説法な記事ですが・・・・
ご覧いただきましてありがとうございました。