菊地さんの批判に関して | 上祐史浩

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菊地直子さんが、2012年の6月19日号のSPA!のインタビュー記事で、「上祐史浩さんは、「菊地はサリン生成に関与し、刑事責任を負った」と語っています。しかし、実際には、私はサリン生成には一切無関係です。」と述べている。

 

そこで、私のインタービューを編集した結果の記事を確かめてみると、文字通り「菊地(さん)はサリン生成に関与し、刑事責任を負った」とは言っていないが、私の真意に反して、菊地さんのように解釈される可能性もある文書になっていたので、改めて真意を説明しておかなければならないと思う。該当する箇所の記事は以下のとおりである。

 

「三人はもっと早く出頭または逮捕されるべきした。彼らはおそらく罪状からも死刑にはならないし、特に平田は指名手配直後に出頭していれば、今頃は刑期終えていてもおかしくない。不毛な逃亡生活を送ったうえ、社会に不安を与えたのは、本人にも社会にもよくなかった。そして、私も無関係ではありません。私はサリン事件の刑事責任はありませんが、当時の教団内の地位は菊池や高橋より高く、教祖の武装化の考えを彼らよりよく知っていた。彼らは全体をよく知らずに、サリンを作ったり、運転手をしたりして、刑事責任を負い、不遇な人生を送ることになりました。私は自分の道義的責任を自覚し、彼らのことを心に留め、彼らの分まで賠償などの罪滅ぼしをしなければならない。それが私に課せられた十字架だと思います。」

 

こうして、「彼らは全体をよく知らずに、サリンを作ったり、運転手をしたりして、刑事責任を負い」としているが、私がインタビューで語った「彼ら」とは、教団武装化をよく知る当時の最高幹部ではなくて、「従属的な信者全体」のことであって、菊池さん個人のことを意図したものではない。具体的には、「彼ら」は、たとえば、サリン事件に関与したが、使用目的を知らずにサリンを作る手伝いをしたり、何か危険なものとは知っていたが、サリンとはよく知らずに運転手を務めたりして、普通ならば関与が薄いとして起訴を猶予されたかもしれないが、オウム事件の強烈な衝撃もあって、刑事責任を追及された。

 

このことは、記事の中の「彼ら」には平田も含まれるところ、平田はサリンでは指名手配さえされていないことからも、ご理解いただければと思う。実際に記事になる際は、インタビューの内容が圧縮されて編集されるので、こうした誤解が起こることに今後は注意する必要があると思う。そして、記事全体の趣旨は、そうした従属的な信者の責任ではなく、むしろ私の道義的な責任を強調するものであることも理解してただければと思う。

 

今ここで、私自身について言うのはおかしいかもしれないが、自分が関与していないある坂本弁護士事件に関して、私を名指しして、具体的に関与を断定した週刊誌記事が出されたという経験がある。その証言者は、事件を直接知る由もないある中堅幹部であり、お金欲しさの虚言だった。後に、その中堅幹部は(週刊誌に対しても)嘘をついたことを告白したが、記事が出る前は、週刊誌はそれを真実だと信じるに理由があったとされた。ほかにも似た事例は無数にあるといってもいいと思う。その背景にはなんといってもオウム事件の衝撃があった。

 

また、私自身は、菊地さんが無罪となったことに反発する世論が多い中で、無罪判決を肯定する江川紹子さんなどの識者の声をネットで紹介した。そのために、無罪に納得がいかない人に批判されもした。また、彼女がブログを始めた時に紹介もしたし、つい先日も、どうしても彼女の無罪が納得がいかないと憤るメディア関係の人に対して、彼女に対する理解が得られるように自分なりに努力した。

 

なぜ今、こんなことを書くかというと、理由は次の通りだ。

 

まず、私が推察するに、菊池さんの今の気持ちの背景として一番重要なことは、彼女がブログを始めるときに書いているように、「無罪判決を受ければ、自分への評価が変わると思っていたのに、大きくは変わらなかった」ということだと思う。その気持ちは、同じ元オウム信者として、私もよくわかるつもりだ。

 

しかし、同時に、彼女の無罪が納得できない世間一般の多くの人たちの気持ちもわかる。それは、一言でいえば、「仮に無罪ならば、正々堂々と出頭するはずだ。17年も逃亡したのだから、どうしても有罪としか思えない」という思いに尽きる。実際に先日のメディア関係者がそう力説していた。

 

この一般の人と、(元)オウム信者のギャップの一因には、あくまで私の推測だが、オウム教団が説いた強烈な陰謀説にあったのではないだろうか。

 

オウムは、教祖が先頭に立って、真理を実践する善の魂(教祖と信者)が、世の中を支配する悪の魂に不当に弾圧され、警察・マスコミは悪魔の手先であり、教団が出馬した選挙も投票操作で敗北させられ、米軍による毒ガス攻撃を受けているなどと主張した。

 

そうした思想に染まっていた当時の教団・信者は、一般の人よりもはるかに、国家権力・警察・マスコミに対して懐疑的だったと思う。そして、更に不幸なことは、多くの女性信者の中で、菊池さんこそが、マスコミに「走る爆弾娘」などと形容されて、もっとも実態と離れたイメージで報道されてしまった。

 

すなわち、彼女にこそ、教祖が説いた被害妄想的な警察の悪魔視が、非常に現実味を帯びる不幸な事態が生じたのではないだろうか。あくまで私の推測にすぎないが、「自分は無罪なのに、出頭すれば重罪の冤罪に問われるに違いない」といったような強い恐怖心である。

 

私も、オウム教団にいたから、この類の恐怖心は体験があり、それから抜け出すために、とても長い時間を費やさなければならなかった。だから、菊地さんに限らず、平田信が逃亡した際の気持ちも、同じような部分があったのではないかと思うのである。

 

しかし、それを逆に言えば、彼女のような信仰も体験もない一般の人が、その心情をなかなか理解できないことも、またよく理解できる。いや、「よく理解できる」と言うのは不遜だろう。しかし、自分の経験上、一般の人に理解してもらうためには、多大な努力を要することは、よく理解できる。そして、それは、相当の年数がかかるかもしれないことも。

 

実際に、私が代表のひかりの輪も、発足以来10年以上、事実に反して、麻原に帰依するアレフと同一の団体と公安調査庁に見なされて、観察処分に付されてきたが、それを取り消す裁判所の判決が出たのは、昨年の9月、発足以来10年以上たった後のことだった(今現在、国が判決を不服として控訴したので、東京高等裁判所で審議継続中である。

 

話を菊地さんの件に戻すならば、結果として、社会は彼女に対して、「無罪だったら逃亡するわけがない」という思いを抱き、彼女は警察・社会)に対して、「無罪なのに有罪にされてしまうに違いない」という思いを抱いた。非常に残念なことである。

 

そして、オウム教団の陰謀説は、オウムの全ての事件の背景にある。サリン事件も、「戦わなければ(自分たちが)滅ぼされる」という教祖の被害妄想が根底にあった。逃亡はおろか、すべての事件の根底にあるのだから、諸悪の根源ともいうべきものだ。

 

これに対して、一般の人の中には、「陰謀説などの妄想を信じる信者が悪い」と思われる方がいるだろう。それは、確かにそうだろうと思う。そして、なによりも、私たち元オウム信者は、自分たち自身のために、安直に陰謀説を信じることは、客観的には、自滅するようなものだと胆に銘じるべきだと思う。自分たちの責任・反省をせずに、国家の批判ばかりすれば、自分たちの利益にならない。

 

特に、菊地さんの場合は、たとえ無罪であっても、指名手配された場合に出頭せずに、逃走する権利があるかというと、これはまた別だろうと思う。この点の法的権利・義務は私にはよくわからないが、一つだけ確かなことは、彼女の逃走を匿う者がいれば、その人は犯罪を犯したことになる。実際に匿った一般人のT氏は、彼女の無罪確定にもかかわらず、日本の司法機能を妨害したという解釈で、犯人隠避での有罪は確定しているとそうだ(この点の法解釈は https://thepage.jp/detail/20151210-00000003-wordleaf?page=2

 

また、菊地さんは、週刊誌に、「一方、指名手配されて1カ月ぐらい後のことだったと思いますが、教団の「出頭するように」という呼びかけに応じなかった為、上祐史浩さんに除名処分にされてしまいました。私には帰る場所が無くなってしまったのです。これは、私がその後17年逃げ続けてしまった一つの要因にもなりました。」と述べているが、仮に、教団が彼女を匿っていれば犯罪であり、指名手配された者が教団の出頭の呼びかけに応じない場合に、教団が匿う犯罪を犯していない証明をするためには、除名する以外にはない。特に、当時は逃走犯が次のテロ事件を起こす可能性が指摘されており、それが破防法の適用(教団の解散指定)の根拠となるという非常事態であったから、彼女を違法に匿って、教団が解散となれば、彼女・教団の双方に何の利益もない(週刊誌記事は。https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171230-00010000-tsukuru-soci

 

こうして、現実として、彼女を愛する人や彼女の教団が彼女を匿えば、それは犯罪になるということは確かなことである。また、一般の人から見ると、長年の間、捜索を強いられた警察に多大な負担がかかったことや、一般国民がどこに潜伏している分らぬ逃走者による不安を抱いたことも、彼女の(道義的な)罪と見えるだろう(彼女にすれば、警察の冤罪と、それをセンセーショナルに報じたマスコミの過ちと主張できるかもしれないが)。

 

よって、一般の人であれば、たとえ彼女のように警察・マスコミに扱われても、逃走せずに出頭に踏み切ったのではないかと私は思う。だから、そこには、陰謀説を背景とした、過剰な被害妄想的な意識があったと思うのである。

 

ただし、事実として、オウムの陰謀説は、その多くが、オウム独自のものではなく、社会一般にある陰謀説を取り込んだものだったことも指摘しておきたい。今現在も、アレフ(旧オウム)が多くの若者を信者にしているが、その際に陰謀説を説いている。具体的には、まずは、一般のメディアの情報(テレビ番組を含む)を使って、9・11、3・11、ユダヤ人虐殺などが陰謀だと教え込んで、更にネットにある情報などを使って、オウム事件も陰謀だと教え込むのだという。

 

そして、社会の中には、そうした陰謀説に共鳴しやすい人が一部にいることも事実だ。多くの人には、陰謀説は、空想・妄想・フィクションであり、メディア業界の人にはエンターテーメント商品である。陰謀説をやめるとネタがなくなる、と率直な告白をする人もいた。ネタがなくて売れずに、生きる糧を失うというのでは困るだろう。しかし、一方で、何パーセントかの人は、陰謀説を真に受けることも事実だ。

 

オウムに入った人たちや、今もアレフに入る人たちには、教団に入る前から、そうしたことを信じている人たちが大勢いた。そして、社会に溢れる陰謀説は、それを信じやすい一部の人をオウム・アレフの予備軍にしてしまう一面がある。

 

そして、それを最も信じたのが教祖自身だったと思う。麻原は、信者を国家と敵対するように操る方便手段として、陰謀説を説いたのではなく、自分自身こそが、最もそれを盲信・狂信していたと思う。一般にはよく知られていないが、カルト教団のリーダーは、信者を操るというよりは、自分こそが狂信・盲信して、それに信者を巻き込まれていくとされている。

 

そして、その更なる背景には、麻原の幼少期・青年期の親子関係を含めた不遇な人間関係などによるゆがんだ人格形成があったと思う。

 

こうした話をすると、私が何か言い訳をしているかのように誤解される方がいるかもしれない。しかし、今も続くアレフの拡大などを含めた再発の防止のために、必要な教団や信者の実態に関する情報を提供したいというのが私の真意であることを理解いただきたい。

 

そして、これらの詳細にご関心がある方がいれば、拙著「オウム事件17年目の告白」をご一読いただきたく思う。

※付記

なお、遠藤・土屋らの幹部信者に直接聞くならば、菊池さんが関与していた否かは、分かったのではないかと言う指摘があるようだが、1995年のサリン事件発生後に、菊池さんが指名手配された後は、彼らは逃走し連絡が取れず、逮捕拘留後は長らく接見禁止であって、死刑囚となった後も同様である。また、私やひかりの輪のスタッフは、オウム事件の反省と再発防止の視点から(接触を危険視する一般の見方もあるため)、元オウム幹部信者とは接触を試みないスタンスでもあることを申し添える。また、他のオウム事件の裁判においても、信者同士の間でお互いの関与の認識の有無に争いが見られる例が多々あり、一方の当事者に聞けばわかるか否かは定かではないと思われる。