3月13日福岡教室での講話の動画とレジメ | 上祐史浩

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  2016年3月13日(日)の福岡教室での講話(第一部)の動画を掲示しました。
 『苦楽の分かち合い、キリスト教と仏教の違い、死を乗り超える感謝の教えなど』(75min).
 https://www.youtube.com/watch?v=9j6VxD-LEGs …

  以下はその講話に用いたレジメです。お聞きになる方は、ご参考になさってください。

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       2016年3月12日横浜、13日福岡講話会レジメ

                  仏教哲学講座第5回

  自他の比較を超える:他と優劣を分かち合う思想

 

1)復習:苦楽表裏と苦楽の分かち合い

 これまでに、苦楽というものについて、仏教の幸福観・幸福哲学として、

1.苦楽は表裏であり、楽を貪りすぎれば様々な苦しみを招き、
  苦を嫌がりすぎれば、その裏にある様々な恩恵を失うこと

2.よって、楽を貪りすぎずに、足るを知り、他と楽を分かち合い、
  苦を嫌がりすぎずに、その恩恵に気づき(苦しみを喜びに変え)、
  他と苦しみを分かち合う(他の苦しみを取り除く手伝いをする)、
  ことが真の幸福の道である、

3.それによって、心の安定と広がり、物事を正しく見る力(智慧)、
  健康長寿、良い人間関係が得られ、地道な長期的な努力によって
  有意義な事柄を達成する人生を歩むことができる、

 といったことを解説した。

 
2)優劣一体という思想

 
 仏教では、優劣の比較を越え、万人万物を仏の現れ、仏性の顕現など見る思想がある。そして、仏陀の心の状態である大慈悲・四無量心には、その重要な要素として、分け隔てをせずに、万物を平等に愛する平等心が含まれている。

 その背景には、苦楽が表裏一体であることと同様に、優劣も表裏一体であるという思想があると解釈できる。例えば、今は優れているとされる者も、慢心に陥れば、時と共に堕落し、劣った者になりかねない。

  逆に今は劣っているとされる者も、その苦しみをバネに、反省・努力すれば、優れた者になる可能性がある。これは仏教の説く世界観である六道輪廻の優劣・苦楽の循環思想とも通じる視点である。

 よって、自分が優れているとばかり思って慢心に陥ることや、自分が劣っていることを嫌悪ばかりして自己嫌悪に陥ることなく、地道な努力を続けることが重要である。そして、これを言い換えると、以下に述べるように、他と苦楽を分かち合うことと同様に、「他と優劣を分かち合う」ことが、真の成長の道であるという考え方に行きつく。


3)他と優劣を分かち合うという生き方


1.自分が優れているとされる時に
  (自分の優等性を他者と分かち合う)

 まず、自分が優れているとされる時も、実際には、それは自分の力だけによるものではなく、多くの他の支え、そして、それを含む幸運によるものだろう。

 そもそも、人は自分だけでは、生まれ育つことさえできない。中には、自分は努力したが、他はしていないと言う人もいるだろうが、努力できる資質自体も、自分だけで得ることができるものではない。こうして、突き詰めれば、自分が優れていると言っても、世界の万物・全体との関係の中で、そのような巡り合わせになっているに過ぎない。

 よって、自分が優れているとされる場合も、それに対する他者(突き詰めれば万物)の支えに感謝することが重要だろう。こうして、称賛を自分で独占するのではなく、他と分かち合うのである。

 これを言い換えれば、自分の優等性を他者と分かち合うということである。これは自分と他人が繋がっている(自他一体)という思想に行き着く。そして、こうして他者・幸運への感謝をする者は、努力を続ける。そして、他者からの協力も続く。よって、成長を続けることができる。

 逆に、慢心とは、他者に感謝せず、称賛・優等性を自分で独占しようとすることである。それは、自己愛・自我執着のために、優越感に浸る中で、道理を見失った状態である。そして、慢心から、油断・怠惰や傲慢・不遜・他者への感謝の欠如が生じて、堕落・落下していくことになる。


2.優れた他人に対して(他者の優等性を分かち合う)

 第二に、他者が優れている時に、それを妬まずに、自分の成長のための見本・全体の幸福を支える存在として喜び、それを活かすことが重要である。しかし、自分が勝ちたい、自分が一番になりたいとばかり思うと、他者の優等性は、自分の幸福の邪魔だとばかり感じる。その結果、嫉妬し、素直に見習うことなく、他を否定しがちになる。

 一方、他との比較ではなく、自分の成長や全体の幸福を考えるならば、優れた他者がいなければ、自分が真に成長することはできないし、全体の幸福を支えるものがいなくなることが理解できる。よって、優れた他者の存在を喜び、見習って自分の成長に結びつけたり、それを全体の幸福ために活かすことができる。これも、自他一体や、自他の幸福が一体と言う思想に行きつく。

 これは、他者の優等性を自分が分かち合うということである。一方、嫉妬があると、他者の優等性は、他者だけの幸福のためのように錯覚されて、それをいたずらに否定・無視することになって、分かち合うことができない。場合によっては、妬みを背景として、悪口その他で、他者を引きずりおろそうとする。そのために、自分の成長が阻害されるし、全体の幸福にもマイナスになる。


3.劣っている他者に対して(他者の劣等性を分かち合う) 

 自分より劣っているとされる他者に対しては、自分が優れているとされる場合と同じ心の問題が生じる。すなわち、慢心に基づいて見下す心の働きである。

 慢心がなければ、自分の成功は、他者の支えを含めた幸運によるという謙虚な認識が生じるから、劣っている他人を見ても、見下す心は生じにくく、逆に、他人を自分の反面教師にする智恵が生じる。

 自分の成功を幸運と自覚する謙虚さがあると、他人の不成功は自分にはなかった不運の一面があると気づくこともできる。そのため、他人の問題が、将来に自分の問題になる可能性にも気づく。すなわち、他人の問題は、他人事ではないということだ。

 すると、他者を反面教師として謙虚に学ぶ、自戒して努力する姿勢が生じる。これは、他者の劣等性を分かち合うということであり、自他一体の思想に繋がる。

 さらに、自分の潜在的な問題の発生を予防するためにも、他者の問題を解決する手伝いをするという発想が生まれる。これは他と苦楽を分かち合う思想に繋がる。

 一方、慢心があると、劣った他人を見下すことになり、反面教師と見て自戒して努力したり、他人の問題の解決を手伝おうとすることはない。そのため、しばらくして気づいて見ると、自分にも同じ問題が生じることが少なくない。


4.自分が劣っていることに対して(自己の劣等性を分かち合う)

 自分が劣っていると感じる場合、それをばねに努力する場合もあるが、自己嫌悪・劣等感ばかりが強くなり、引きこもる場合もある。すなわち、自分の劣等性が露わにならないように他との関係に消極的になるのである。

 また、ある意味で逆切れ状態になる場合もある。実際には、自分に問題があるのに、劣等感・自己嫌悪の苦しみのために、それを直視せずに、問題を他人に責任転嫁するのである。加えて、いたずらに他を貶めることで、劣等感を紛らわす場合もある。

 しかし、自分の劣等性は、決して自分だけのものではなく、多くの人々が共有しているものである。言い換えれば、自分の問題の裏側には、1.自分の実体験から他者の問題を理解・同情することができること、2.それを自分が乗り越えるならば、他者が乗り越える手助けもできる、という自分の潜在的な能力・財産がある。

 これを理解すれば、自分だけの問題と思い込み、自分だけで落ち込んだり、ないしは逆切れしたりするのではなく、多くの他者と共に問題の解決に取り組むという前向きな生き方の道が開けるだろう。そして、これも、自他の間で劣等性を分かち合うことになる。

 なお、卑屈・自己嫌悪のために、引きこもったり、逆切れするのは、突き詰めると、怠惰・甘えの一面がある。自分の劣等性は、自分の価値を否定するものではなく、地道な努力によって、自分の価値を高めていく材料となるものだからだ。

  一方、他と劣等性を分かち合うということは、慢心や卑屈に陥らずに、地道な努力を続ける方向性に向かうことになる。 

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