仏、釈尊は「法華経」 をお説きになるまでの四十余年間に方便の諸経を説かれた。 釈尊は衆生の能力に不同があることを知っておられたので、さまざまな喩や方便をもって説かれたのであった。妙法蓮華経の第九章 授学無学人記品をご説明します
仏道の因縁は菩薩として一切衆生を救うことであり
利他行(りたぎょう)を行うことである
◎ 仏道を学ぶには
世尊は重ねて今まで述べたことを、今度は偈文(げもん)によってお説きになられた。同じ内容であるからここではくり返さないが、その冒頭は、
‘われは今、僧の中にて説かん、阿難なる持法者(じほうしゃ)は、当(まさ)に 諸(もろもろ)の仏を供養して、然(しか)る後に正覚を成(じょう)ずべし。’ で始まる。
この中に「われは今、僧の中にて説かん」 とある。僧とは、「和合」 の意味であって、仏の弟子たちはどんな人であってもすべて和合して生活しなければならない。仏もまた同じ仲間の中にあって和合の中で教えを説こう、と言われたのである
「増一阿含経」 では、僧とはまず、"よい行いをする人であり" また戒律を厳守し三昧、智慧、解脱、知見を完成する人でなければならない
僧は世の中の福徳を生み出す大いなる原因であるから、世間の人はこれを敬い、礼拝しなければならないと説いている。僧は真理を求める和合の集団であるり、仏もまたその中の一員として教えをお説きになられるのだという
ここで阿難は「持法者」 と呼ばれた。
持法者とは、教えを護持する人のことである。法を守り伝えていく人のことである
世尊は、阿難が自分が死んだ後も教えを必ず守護してくれる人と信頼して「持法者」 と言ったのである。
‘無数(むしゅ)の 諸(もろもろ)の衆生、此(こ)の仏法の中に於(お)いて、仏道の因縁を植(う)えん。’
とあるが、仏道とは「仏の開かれた道」 であると同時に、「仏になる道」 である。仏道の因縁は菩薩として一切衆生を救うことである 利他行(りたぎょう)を行うことである
※菩薩行を立派に果たすことによって、ついに仏道を完成することになる。
菩薩の行いを一歩一歩学んでゆく道が「仏になる道」 に通じるのである
次回につづく。
追記、利他行(りたぎょう) これにつきますね 見返りを期待しないでの他人を救うとする菩薩行(六波羅蜜)が必要となりますが、先ずは菩薩行に発願するところからスタートです
法華経は釈尊の肉声の教え、経典です。 是非とも、
釈尊のご慈悲を体験してみてください(西洲)
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真実は一つ!!