正解と最善 ~一神教と八百万の神々 | 神人一致の癒奏術・響庵

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*パラダイムとは『ある時代のものの見方・考え方を支配する【認識の枠組み】』のことです。

 

 

 

【答えは一つ】のパラダイム

 

現代の教育の在り方や常識の基盤自体に【答えは一つ】というパラダイムが根付いてしまっている。

教育の在り方自体に『一つの問題から一つの【正解】にたどり着く』というパラダイムが基盤にある。

それは【正しさ】を求める上で必要なことなのかもしれないが、それを【統一】してしまわねばならないところに無理がある。

【一律同じ】であるために基準を【統一】する。

本来、その【統一】自体は『便宜上』の【統一】でなければならなかったはずである。

しかし、教育や社会常識自体が『一つの問題から一つの【正解】にたどり着く』というパラダイムに陥り、それがあたかも【自然】であるかの如く勘違いを続けてしまっている。

 

そして、いつしか便宜上になされた【統一】が『仮のもの』であることを忘れ去って、【統一】されていることに重きを置いているから問題なのである。

いつの間にか人の潜在意識に『盤石』の安定感で根付いてしまった。

 

 

 

 

 

正しさとは?

 

正しさとは何であるのか?

何をもって『正しい』とするのか?

 

全然関係のない話に一度飛躍するが、例えば麻婆豆腐やウナギのかば焼き等には『山椒』を振りかける。

昔からの知恵として、確かに『正しさ』があるだろう。

しかし、この『山椒』をカルボナーラやおにぎりに振りかけるのは正解か?

『山椒』が大好きな人には正解かもしれないが、多くの人の正解とはならない。

『そんなことは当たり前だ』と怒られるかもしれないが、実は人はこの『当たり前』を『パラダイム』によって見落としてしまっているということだ。

 

【山椒】がマッチする食べ物を食べ続けていて、いつしか【山椒】が当たり前の必需品となる。
つまり【山椒】が正解だからそれに見合った食べ物が【正しい】というパラダイムに陥っているということです。

 

 

 

人にはそれぞれ様々な人生があり、そこで培われた『人生観』があり、自分の人生を生きていく上での『最善』を選択してきています。

その『最善』の繰り返しによる【成功例】が、やがて『正しさ』となってその人の人生に定着します。

それはその人の人生における『正解』であり『正しさ』であります。

だがそれは、その人の人生における『正しさ』であって、他の人の人生における『正しさ』とは限らない。

 

自分と真逆の人生を歩いている人は結構います。

真逆まではいかなくとも、人それぞれ人生は違い、人生が違えば都度の『選択』も違います。

その時々で『最善』の選択をして、それが繰り返され、繰り返すことで『学び』となり、やがてそれが『正しさ』となっていきます。

 

例えば、身の危険に晒されている人生を歩んできた人の選択の『最善』と、身の危険が皆無の人の人生の選択の『最善』は全く違います。

もっと細かく言うなら、寒い地域の人と暑い地域に住む人の『最善』も違うということです。

 

氷の世界に暮らすエスキモー達に『ベジタリアンで在れ』と訴えたところで、野菜が育たない大地で暮らす人には無意味です。

『ベジタリアン』と『エスキモー』の【最善】は全く違います。

だから【正しさ】も自ずと違う。

 

【正しさ】の根源にあるもの・・・

それは自分にとっての【最善】であるということです。

 

 

 


一神教と八百万の神々

 

日本には『八百万の神々』がいます。

それは、この世には様々な原理や現象があり、様々な要素があり、地域があり場所があり、火t人の暮らしがありスタイルがある。

それら様々な事象ごとには様々に違ったかたちの【最善】があります。

その【最善の柱】(基準)となるのが『八百万の神々』です。

 

例えば、私の産土(うぶすな)神社の神様は『速秋津姫』という『川の神様』です。

群馬県に流れる『吾妻川』という川に沿った『生活』を基盤とした人々の『最善』を示す【神】ということです。

『川』を【神】としてその『川』から恵みや豊かさを受け取り生きる。

それがその地域の『最善』の暮らしということです。

 

山には山の『最善』があり、里には里の『最善』があり、海には海の『最善』がある。

だから【八百万の神々】がそれぞれ地域や状況に合った【最善】を示す【柱】として祀られています。

 

海の『最善』は山では決して『最善』とは限りません。

その逆もまた然り。

だから神は『一つ』ではない。

 

 

しかし、一神教の神は『一つ』です。

それは原理や原則、状況や事象を『特定』した場合に『神は一つ』と言える状況になるということです。

つまりは、その『たった一つの神』も原理原則を限った『最善』であるということです。

 

 

 

 

【正解】とは【最善】の主観

 

自分にとっての【正解】とはあくまで自分にとっての【最善】です。

人それぞれ立場や状況や環境、事象が違えば【最善の選択】は自ずと違ってきます。

だから『正しさ』を外側に求めていては、決して自分の『最善』は見つかりません。

自分の『最善』は自分の『心の裡』にあります。

 

真理は心裡にあり・・・・です。

 

真理も心理も審理も心裡も全て『心を明らかにする』ことが大切だという言霊です。

『自分にとっての最善は何なのか?』

それは『今の状況に最善なのは何か?』ということです。

その時々で状況も違えば環境も違います。

かつての「その時」の『最善』が常に『最善』とは限りません。

状況が変われば『最善』も変わります。

過去の『最善』を『正しさ』に置き換えてしまえば、状況が変わったときに『間違った正しさ』を選択してしまいます。

だから『正しさ』に囚われれば『最善』を見失ってしまいます。

 

 

 

【正しさ】とはあくまで【最善】の選択の【成功例】の連続から得た単なる【認識】です。

教育における学びやテストでの【問いと答え】という一対の在り方も、一貫した教育の便宜上の【最善】です。

教育という『場』だけでの『正しさ』にすぎません。

それを世界や社会、人のあらゆる事象に当てはめてしまう『潜在意識』に染み込んだ【パラダイム】でしかありません。

 

 

違いを知ること

それが悟り(差取り)

 

答えは一つじゃない

 

そろそろ【パラダイム・ロスト(破壊)】する時です。

 

 

 

 

 

 


 

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