
長年、禅という「終わりのない」道を求めて歩いてきました。
人生の指針や道しるべを求めて、または仕事や生活の道しるべを求めて。
ある意味「理想」を追い求めているのでしょう。
だからこそ「終わりのない」道なのです。
私の禅は、「座禅瞑想」や「日常の中の禅」もありますが、基本は「剣禅一如」の禅です。
昔の兵法者と言われる剣術者、武芸者が、剣の道を極めるために、禅の道を導(しるべ)としていたものです。
剣の究極の技を極めようと欲すれば、自然と「禅の理(ことわり)」の中にあります。
何かの道を極めるとき、その裏側には必ず「禅の道」があります。
言い方を変えるなら、すべての道の理となるもの・・・
それが「禅」とも言えるでしょう。
だから、私がセラピーを続けるにあたって、「禅」がその道しるべとなって私を導いてくれました。
セラピーの技術や知識は単なる道具です。
その道具を「いかに使うか」というのが、「技の道」であり「禅の道」と重なるところです。
「極意」という言葉があります。
これは「意」を「極める」ということです。
つまり、技の極意は「意思・意識」の「極み」です。
技術や知識を使う「意」こそが、道であり極みへ到達する道となるのです。
「意」が未熟ならば当然「技」も未熟となります。
いくら知識や技術を蓄えても、未熟からは脱することはできません。
あまりにもたくさんの道具を持っていながら、的確に使う「意」がなければ、それらの道具は宝の持ち腐れとなってしまいます。
極意
「意」の極み・・・
それは無想という囚われの無い「意」であります。
自由に感応し自由に動くことが出来る「意」が、技を自在に操れるようにしてくれます。
剣の話に戻ります。
例えば一刀流の奥義に「無想剣」があります。
想いに囚われず技を使う「極意」です。
また、新陰流では「構え有りて構え無し」と言います。
自らの構えに囚われることなく、相手に対して自在に構えが変わるということです。
更には「無刀取り」の極意があります。
刀に囚われることがない故に、自在に技を使えることです。
これは様々な武道にも言えることです。
物騒な話になってしまいましたが、剣術や武道だけでなく、茶道や華道、小笠原流作法も「禅」に通ずる道が裏側にあります。
様々な芸術も同じでしょう。
技芸の道は「禅」に通ずるものです。
だから、セラピーの道も「禅」の道も「意」の部分は全く同じ道です。
そして「意」を極めるからこそ「技」が生きてくる。
「技」に「意」が振り回されてしまっては、もはや道は失われています。
「意」が「技」をコントロールして、初めて技術は道を極めて「極意」となります。
ゆらぎセラピーには様々な知識や技があります。
整体の知識や技
陰陽五行や経絡の知識や技
気やヒーリングエネルギーの知識や技
アロマやハーブの知識や技
これらの知識や技を使うのは、道に沿った「意」があってこそ生きてきます。
セラピーの「道」
セラピーの道は当然「癒し」です。
それは「癒され元気に成る」ということです。
本来ある道から外れて不調となってしまった心や体を、元の「元気」の状態に還すことが目的地であり、そこへ至る「道」があるわけです。
その目的地に向かって知識や技術を使う「意」が、実際に道を進む「要(かなめ)」となります。
・目的地へ届けるという「意」
・それに必要な「知識や技術」
二つがしっかりとそろって初めて「癒し」をもたらすセラピーとなります。
ゆらぎセラピーは「意」を極めようとするセラピーです。
目的地に到達するために、道にある障害を一つ一つ取り除く・・・
そういう「意」を持ったセラピーです。
そして、目的地は心と身体と魂を癒す。
三位一体のセラピーです。
身体だけでなく、心だけでなく、心身が癒され調和した先にある「魂」の安らぎも求めて、様々な知識や技術を使いながら、心と身体を癒しへと導いていくものです。
心に囚われ、身体に囚われ、知識に囚われ、技術に囚われてしまえば、常に影響しあう心身を「調和した癒し」へ導くことはできません。
そのためには、囚われの無い「意」が大切です。
「意」が常に囚われの無い「自由自在」に在るために、「禅」とセラピーを「一如」としています。
構えることなく心身の状態に合わせて構えを変化させ、知識や技術に囚われることがないため、自由に知識や技術を使えます。
それは、その場その場で最善の知識や技術を使う・・・ということです。
だから、独特のセラピーとなっています。
千手観音は「囚われ」がないゆえに、千本の手を自在に使えます。
頭で考えてしまっては、千本の手は使えないということです。
感ずるままに手が動く・・・
それが千手観音の自在の心です。
セラピーもそのように在りたいと思っています。
感ずるままに手が動き、必要な知識と技術を感ずるままに使う。
それがゆらぎセラピーの根本となる「禅のセラピー」です。
空(くう)の理(ことわり) ゆらぎセラピーの理 第1番