
自分でもわかりにくいものを、このホームページを読んでいる方々は更にわかりにくいことだろうと思います。
私自身、セラピーについて客観的に見ることがあまりなかったためでもありますが、自分が理解できていないものを他の人が理解できるわけがないですよね。
自分自身のセラピーが何なのか?
どういうもので、どういう理(ことわり)で、どういう過程で、どういう結論にたどり着くのか?
そんなことを真剣に取り組んでみようと思いました。
タイトルにある「生命のゆらぎ」とはいったい何なんだ?
とか
禅とセラピーってなんだ?
とか
陰陽和合ってなんだ?
とか・・・
解る人にはおぼろげながらも雰囲気は伝わるのかもしれませんが、多くの方々には全く理解不能なのだろうと・・・・・
今さらながら気づきました(^^;
時を経てようやくそこ(理解すること)に至ったのかもしれません。
Logicー論理
論理と言ってしまってはダメなのかもしれません。
実際、先へ進めば進むほど論理的証明が不可能になるからです。
だから先に言っておきたいと思います。
論理を「感覚」で捉えてほしいと思います。
感覚的な理解がセラピーの論理を知る最善の方法だからです。
それは今後「ゆらぎセラピー」の理を書き進めていく中で分かってくると思います。
『あぁ、こういうことか。これじゃ科学的説明などできないなぁ』という理解をしていただけたら幸いです。
過去、療術やセラピーを行ってきた人には、聖職者であったり宗教家であったり、兵法者であったりするわけです。
日本ではお坊さんや神職の方、そして兵法者が人々を治癒する役割を担ったりしていました。
ハワイでもロミロミを行ってきたのは「カフナ」と呼ばれる聖職者です。
カトリックなどでも「修道院」などで治療をしていたのではないでしょうか?
これにはセラピーをするうえでやはり共通点があるわけです。
それは「心」
セラピーをする上で「心」の問題は非常に大きいわけです。
技術や知識もさることながら、この「心」が修養されていないとセラピーとしての「質」の向上は望めません。
長年セラピストをしている人ならよくわかると思いますが、たとえばイライラしていたり、心配事があったりすると、真っ当(まっとう)なセラピーが出来ません。
それはやはり「心」の問題がセラピーに大きく影響するということの表れであります。
私の場合、「禅」というものが心の在り方に大きく影響しております。
禅でも様々な形と言うか道筋と言うか、そういうものがありますが、私の場合は「沢庵」禅師の「剣禅一如」が入り口であり道筋であったわけです。
ゆらぎセラピーが禅のセラピーであるところの所以(ゆえん)です。
その他、兵法の新陰流の「上泉秀綱」であったり、幕末の剣豪「山岡鉄舟」であったり・・・
当然、禅の道を極めた仏教の方々の導きのたまものでもあります。
そんな方々の道しるべを辿りながら自らの「心の在り方」を長年修養してきました。
そんな土台があってセラピーの仕事に携わったわけですが、セラピーの仕事自体はほんの3年ほど・・・いや、もうすぐ4年になりますか。
他のセラピストの方々には大変申し訳ないくらいセラピスト歴は短いです。
ですが、それ以前の心の修養に関しては30年です。
これは他のセラピストさんの遠く及ばない部分であります。
この土台があったから、たった3年でも立派に独自のセラピーを掲げられているのだと、ほんの最近になってようやく気付きました。
このことは兵法の逸話なんかにもよく出てくる現象です。
いきなり「免許皆伝」になるという・・・
それはまた別の機会にお話しいたしますね。
「ゆらぎ」セラピーと禅
ゆらぎセラピーには整体や経絡などの知識や技術が所々にあります。
ですが、一番肝心なのは「心」です。
心の状態
禅による瞑想状態
我を捨てた「空」の状態
セラピー中の心の状態はそんな状態です。
そんな「空」になった心に「受容」するわけです。
・・・わからなくなりましたね(^^;
ゆらぎセラピーに大切なものは
空になる
受容する
繋(つな)がる
交わる
委ねる
です。
このわからなさを今後説明していきたいと思います。
かなりスピリチュアルな部分やいかがわしい、怪しい言葉なども出てくると思います。
イヤだと思ったら離れてくださいね。
どうしても「科学的根拠」や「医学的根拠」を求める方にはご理解いただけません。
何故なら知識や技術の「学び」だけではどうすることもできない領域が存在するからです。
「修養」自体が「学び」と捉えられるなら、それは「学び」となるのかもしれません。
学問的学びも当然ながら、修養的学びも必要ということになるのでしょうね。
そんな修養的学びの部分が実は多くの方々には理解されていません。
それをできるだけ紐解いて、ゆらぎセラピーとはどういうものか?
ということをお伝えしていきたいと思います。
長々と書いた文章を最後までお読みいただきありがとうございます。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
識(しき)・プラーナを癒す ~ゆらぎセラピーの理 第6番識(しき) 仏教では識蘊(しきうん)とも呼びます。 五蘊(ごうん)と呼ばれる色・受・想・行・識の五つの要素が人間の構成要素であるとするものです。
魂を癒す(門を開く) ~ゆらぎセラピーの理 第7番
識(しき)・プラーナを癒す ~ゆらぎセラピーの理 第6番識(しき) 仏教では識蘊(しきうん)とも呼びます。 五蘊(ごうん)と呼ばれる色・受・想・行・識の五つの要素が人間の構成要素であるとするものです。
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スピリットセラピー「ゆらぎ」
ボディ&ヒーリングセラピー
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静心如水ー北野坂如水庵~思考・感情・魂の旅日記
浅田浩二・個人用Facebook(お気軽に一言添えて友達申請してください^^)
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空となる ~ゆらぎセラピーの理 第1番
目で聴く(共感) ~ゆらぎセラピーの理 第2番
受容する ~ゆらぎセラピーの理 第3番
繋がる ~ゆらぎセラピーの理 第4番
委ねる ~ゆらぎセラピーの理 第5番
了する・・・丁寧さの仕舞い ~ゆらぎセラピーの理 第8番
アロマの導き ~ゆらぎセラピーの理 外伝その1 奏(Kanade)