私の父は、私以上に凝り性でして、
最近では「そば打ち」にハマっておりまして、
自分で釣った近海の魚を天ぷらに、
自分で打った蕎麦を
自分で焼いた皿&蕎麦猪口で
嗜むというのが愉しみのようです。
写真の趣味も父親譲りでありまして、
当時は自宅に暗室を作り、
フィルムからの現像を
全て自宅でやっておりました。
薄暗く点灯する赤い電球の下で
酢酸の香りに包まれながら
現像の手伝いをしたことを
よく覚えています。
最近のカメラは露出もピントも
全部機械任せになりましたが、
フルマニュアルのカメラの
いなしかたというものは
父親からの直伝でありました。
今でもマクロ撮影などは
オートフォーカスに頼らず
自分の意図したところに
ピントを合わせるという癖が
残っているのであります。
フィルムカメラの殆どを
すでに処分してしまった父ですが、
いわゆるナナ・ゴーといわれる
アサヒペンタックスの
中盤カメラだけはなぜか手元に残していて
ことあるごとに
「お前が使うようならくれてやる」
と言われるのですが、
あんな巨大なカメラを振り回す自身は
あいにく持ち合わせておりません(笑)
てか、ナナ・ゴーのフィルムなんて
まだ売ってるんかいな。
当時父は同じカメラ仲間と
個展を開いていたりしていまして、
父の本業の仕事が終わると
家族で個展を見に出かけたりしていましたが、
女性の裸体をモデルにした作品なんかもあり、
母が私の目をふさいで
「見ちゃいけません」
と言っていたこともありました(笑)
最近はカメラはほとんど街撮りくらいにとどめ
興味の主体は釣りだけになったようです。
少し前にも、フィッシャーボートの
オーナーさんのブログに父が
またもやアップされておりました。
以前は鮎の友釣りにはまっていて、
近所で山を持っているひとから
孟宗竹をいただいてきて、
それを綺麗に加工して
おとり鮎をいれるケースを
作ったりしていました。
それに鮎の姿の透し彫りなどを施したりして
釣り仲間から、譲ってくれという
リクエストが止まなかったことも
思い出しました。
今では、私の2号機である
軽量コンパクトな一眼レフと同じ機種で
写真を撮っていたり、(つまり同じ機種が2台ある)
私が以前使っていたバス釣りの竿やリールを
船釣りで使っていたりしていますが、
そば打ちだけは「父の神聖な領域」と思い
あえて私が手を出さないようにしています。
Keep it moving!!