先頃の福岡行きは、確かにきっかけが「新・福岡古楽音楽祭」にあったわけですが、北部九州はあの!邪馬台国があった(かもしれない)場所だけに、些かなりとも古代史に関心を寄せる向きには予て「訪ねなくては!」と思う地域だったのですなあ。これまでは何度か博多に出張で出かけるばかりでしたので、むくむくとした思いは爆発寸前で…といっては大袈裟に過ぎますが(笑)。
ともあれ、音楽祭のイベントを覗きに天神まで通う傍ら、久留米を拠点に東西へ、遺跡・史跡の類を訪ね歩くことにしていたのですな。そして、その大きな目的のひとつが国特別史跡・吉野ケ里遺跡を見て廻ることでして、そも久留米に滞在したのも(福岡市街のホテルが取りにくかったというのもありあすが)久留米からならばバス一本で遺跡の近くに行けるからだったのでありますよ。
ということで、西鉄久留米駅前から佐賀第二合同庁舎行の西鉄バスに乗り込んだでしばし、やがてバスは筑後川を渡ります。「おお!筑後川であるか!」と、川好きとしては気分の高揚を隠せないところですなあ。何しろ筑紫次郎とまで呼ばれる日本有数の川ですものね。
で、川を渡りつつ思い巡らしましたのは「大きな川であるからして、福岡県と佐賀県の県境はもしかしてこの筑後川であるか…?」と。
ほどなくしてかような交差点に差し掛かりましたですが、この千栗八幡宮とやら、肥前国一宮との看板も見かけることになり、やっぱりすでに肥前佐賀に入っておったかと思った次第。ちなみにこのお社は「千栗」と書いて「ちりく」と読むそうな。
各地を旅してまわると必ず「どうにも読めない」、はたまた「そんな読み方であるか?」という地名に出くわすことがままありますが、この「千栗(ちりく)」は後者ですかね。普通に読めば「ちくり」でしょうから。ただ、ちと思いついたのは「栗」の字の訓読み「くり」と音読みの「りつ」がごっちゃになってしまったのではありませんかね、もしかしてのもしかしてですが。
ついでながら、これも「そう読むかあ…」という気がしますなあ。もっとも地名に関しては「そう来る?」と思うことが他の路線も含めて度々出てきましたので、さらにひとつひとつ挙げることまではしませんけれどね。
そんなあれこれのうちに、バスはいよいよ吉野ケ里町に入ります。遺跡に向かうにはこの先の交差点で左折するわけですが、交差点のところには大きなモニュメントが立っておりましたよ。
吉野ケ里遺跡から出土した銅剣を模しておるのですな、遺跡近しという気になろうというものです。ということで、バスに揺られておよそ1時間ほど、田手・吉野ケ里公園南というバス停に到着ということに相成りました。
乗って来た西鉄バスを見送って、あとは目の前の交差点を右へ曲がり、JR長崎本線のガードをくぐればよろしいと。吉野ケ里歴史公園までは歩いて5分ほどとなります。ちなみに、JR長崎本線の吉野ケ里公園駅からですと、徒歩でおよそ15分ほどとか。まあ、さほど大きな違いは無いとは思うも、折しも10月半ばながらもこの日は30℃超えのお天気でしたのでね、歩きの時間が短いにこしたことはないというわけで。
さてと、この後は炎天下の吉野ケ里遺跡探訪となってまりますが、それは次回のお話ということで。





