「見るものすべてが魔法にかかる-」とは、フライヤーにある惹句でして、

これでタイトルが「フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法」と言われれば、

フロリダといえばディズニー・ワールドであるし、そこで魔法が展開する?

おそらくはファンタジー映画でもあろうかと気軽に、そして不用意にも見てしまいましたですよ。

 

 

アメリカは自由で豊かな国。

太平洋戦争後の日本ではある時期まで確実にアメリカをそんなふうに見ていたのではなかろうかと。

おそらくは今でも同様の感覚を持ち続けている人は少なかろうと思いますが、

なにしろ聞こえてくるのは差別であり、貧困による格差であり…と、

かつはこぞって「あんな国であったなあ」と思っていたとなれば、

それこそ魔法にかけられていたのではありますまいか。

 

そんなアメリカの魔法の一翼を担っていたのがディズニーであることは疑いようのないところですが、

フロリダはまさにディズニーの魔法の王国でもあるわけですね…と、観光客的には思うところです。

 

ところが、そのマジックキングダムの城壁を隔てた外側には安モーテルに仮住まいする、

要するに定住できる住む場所さえない人々が日々を送っているのですなあ。

これを塀の内側との対比で考えると、なんと落差の大きいことか。

 

映画で描かれる日常はもっぱら塀の外側であることを、見始めて初めて知ったときに

描き出される日々のようすに暗澹たる心持ちが生じ、深く深く沈潜していくような気がしたものです。

 

人それぞれに見方は自由ですので、あるレビューによりますと、

子供目線で描かれるこの物語は、貧しくともいささかもそんなことを感じさせることなく、

本来塀の向こうには子供たちを夢中にさせずにおかない場があることをよそに、

塀の外の何の変哲もない空間を見事に遊び場に変えてしまう、このあたりが

魔法たる由縁とも言えるといったふうでありましたよ。

 

なるほどそういうふうに受け止められなくもないとは思いますが、それにしてもその子供たちの遊びというのが

(ことさらな部分だけ挙げることをお断りした上で)空き家に入り込んで室内のものを壊しまくり、果ては放火状態になったり、

離れたところから他人の車につばの吐き掛け合戦に興じたり、アイスクリームショップの前では客を待ち構え、

小銭をせびってたまったところでアイスをひとつ買い求め、「ただでアイスを手に入れる方法」とうそぶいてみたり…。

 

アメリカの批評家の間では押しなべて高評価であることがWikipediaには紹介され、

「不当に扱われている人々に色彩豊かかつ共感的な視線を向けている」ということなんですが、

見る側として個人的には度量が狭いということになりましょうか、

しばらく前にEテレ「ドキュランドへようこそ」で放送された「イラン 天空の教室」に出てきた子供たちと比べても、

あまりのやるせなさを感じるばかりなのでありました(例によって録画を見たのが最近だもので)。

 

このドキュメンタリーのことはまた近々記しておきたいと思うところですが、

ま、こちらの映画はその受け止め方に違いはあっても、アメリカのひとつの現実を知ることにはなるのでありますよ。