横須賀のヴェルニー公園に立ち寄ったことを書いてからひと月余りも経ってしまいましたが、

(もっとも実際に訪ねたのは今年2020年の年始めだったので、すでに4カ月余りが経過して…)

日本初の近代的工場である横須賀製鉄所(造船所)建設に奔走したのが小栗上野介で、

まつわる本を読んでみようと思いつつ、今頃になって読み終えたという次第でありまして。

 

(平凡社新書561)/村上 泰賢

 

手にした本は大それたものではなく平凡社新書でしたので、あっという間に読み終わっても不思議でなないところながら、

どうも本を読むのに集中しにくく、ぼんやりとでも見ていられる映画に目が向いたりしてしまうのは、

昨今の状況のせいでありましょうか。

 

と、それはともかく小栗上野介ですが、幕末の転換期に近代化の必要性を説いて、これを牽引した人物なれば、

もそっと顧みられていい人物と思うところながらそうなっていない。

戊辰戦争で官軍が関東にやってきたときには、すでに知行地である上野国の山村に隠遁していたにも関わらず、

捕縛され、何らの詮議もないままに打ち首にされてしまった…とは。

 

先に新選組の近藤勇に触れましたけれど、明らかに戦闘態勢にあった人たちならば、

そりゃ官軍も攻撃をしかけるであろうとは思いますけれど、田舎でおだやかな暮らしを始めていたところへ

かような仕打ちをした…となれば、小栗上野介という人物、よほど目立ってしまっていて、

官軍側にはよほど目の上のたんこぶに思えていたのでありましょうかね。

 

ちなみにその目立ち方の一端を、業績に見て本書からちと引いてみるとしましょう。

実施した近代化の業績は横須賀造船所建設、洋式陸軍制度の導入による軍制改革と訓練、仏語伝習所開設、日本初の株式会社設立を指導、鉄鉱山開発、滝野川大砲製造所建設など多岐にわたります。…また郵便・電信・ガス・鉄道などの設立を提唱しました。のちに明治維新から大正期にかけて政治、財政、外交で多くの業績を残した大隈重信に、「明治の近代化はほとんど小栗上野介の構想の模倣に過ぎない」と言わせたほどの改革でした。

要するに明治政府にあって近代化を進める側にとって、結局のところやっていることは幕臣・小栗の構想をなぞっていた、

そんなふうに言えるわけもないわけで、これは下野した大隈だから言えたことなのかもしれません。

 

これだけの先見性といいますか、これは日米修好通商条約の批准書取り交わしのため、

万延元年(1860年)米国に派遣した使節団に正使・副使に次ぐナンバー3の立場である監察として加わり、

アメリカ各所で見聞してきたことが大きく影響しているわけですね。

 

いち早く近代化を推し進めて、鉄と石の文化を持つアメリカのあれこれは使節一行を驚かせたことは

やぶさかではありませんですが、アメリカ人の側もちょんまげ、二本差しの一行には驚かされたようです。

直接的に小栗にかからわずとも、本書ではこの遣米使節のようすをたくさん紹介していましたので、

余談ながらこんな一説を。一行が首都ワシントンに到着したところです。

正使を先頭に埠頭に足を踏み下ろし、列を作って進んで行きます。これを見たアメリカ人は「日本人は列を作って歩ける!」と驚き、新聞でも、文明度が高い人たちと紹介されました。

鎖国の時代が長かった日本は全く知られざる国であったわけで、

どんなにサルにも近い連中が現れるかと思えば「列を作って歩ける」ことを目の当たりして、

物見高いアメリカの人々は感心しきり。いやはや…ではありますなあ。

 

とまれ、そんなこんなの遣米使節が任務を全うして帰朝してみますと、

自分たちを送り出した大老井伊直弼は桜田門外の変ですでに亡くなっており、

攘夷の嵐が吹き荒れておりましたので、いかに先進技術を目にし、それを日本でも推進しようとしても

なかなかに言い出しかねる状況になっていたようです。

 

が、それでも国の先行きを考えた場合にはどうしても必要と強く製鉄所(造船所)の建設にこだわったのが

小栗であったということで。幕閣を説いて、説いて、説きまくり、ようやくゴーサインを得るにこぎつけますが、

ここで困ったのが製鉄所建設に欠かせない技術支援をどこの国に頼むかということなのですな。

 

結果からみればフランス人技師のヴェルニーの力が大きかったと分かっていますから、

フランスに頼んだのでしょうとなるわけですが、本来ならば使節を歓待し、

近代化のありようを惜しみなく見せてくれたアメリカに頼もうかと思ったものの、

当のアメリカは南北戦争の真っ最中で、余裕は無し。

 

ではイギリスか言えば、当時「全世界を植民地にしかねない勢いで…油断のならない国」と見られ、ボツ。

ロシアも日本に虎視眈々で、直近では対馬事件(1861年、ロシアの軍艦が対馬を占拠してしまった事件)を起こし、

オランダはすでに国力が衰えて、船を売るのはいいけれど、技術支援には二の足を踏んでいた…ということで、

要するに消去法でフランスに頼ることにもなったようでありますよ。

 

そんなネガティブチョイスながらも、ヴェルニーはよくやってくれたようですし、

その関わりの中から富岡製糸場もできるわけですから、結果は上々というべきでありましょうか。

 

てなことで、旗本の小栗上野介、幕府の側に立ってその建て直しともども

日本の将来に向けた布石を打っていくわけですが、歴史は戊辰戦争へと進んでしまうのですな。

早々に恭順の意を表して逼塞する方向の将軍慶喜に対し、江戸城での評議に際して小栗は

徹底抗戦を強く主張、勘定奉行などの役職を罷免されることになったとか。

 

その後は上州に引っ込んでという冒頭の話につながるわけですけれど、

この徹底抗戦の主張も官軍側には気に入らなかったのでありましょう。

山里に隠れて何を企んでいるか、なまじ知恵も行動力もある人だったので、不気味な存在に映ってのかも。

結局のところ、幽霊怖いでやみくもに刀を振り回すような臨み方をしてしまったのではなかろうかと。

 

明治政府としては自らの正しさを疑わせてはいけませんから、そこで語られる歴史では圧倒的に悪者扱い、

第二次大戦が終わって明治史観の修正がされるかと思えば、小栗は横須賀海軍工廠の元を作ったとして

GHQから軍国主義者扱いされてしまったのであるとか。

 

時代が違いますので、その行動のすべてを今の尺度で考えるのは誤りの元となりますから、

そこらへんは冷静に見つつ、一方ではその業績にも冷静に見直してやる必要がありましょうね。

ともすると、これまでの反動でやたらに持ち上げてしまうというのもまた違うかなということも忘れずにいたうえで。

 

とまあ、こうしたことをたどっていますと、上州にある小栗の菩提寺にで参ってみたくなるところですが、

(なんと本書の著者はその菩提寺のご住職ということで)

心置きなく遠出ができる日を今しばらく待つことにするといたしましょうか。