早春の花々を愛でに立川の昭和記念公園へ出かけたついでのお話をひとつ。

「もしかしてもそっと梅が見られそうかも…」と園内にある日本庭園に足を向けてみたのでありました。

 

 

昼過ぎから曇りがちになってしまったものですから、なまじ広がりがあると寒々しさが増すような。

されど、しっかり梅の花は今が盛りと咲いてはおりましたですな。

 

 

ところで、ここからのお話のは日本庭園そのものでも梅の花のことでもないのでして、盆栽のこと。

日本庭園の中に盆栽苑なる施設があるものですから、立ち寄ったというわけで。

 

 

実のところ、盆栽に興味があるということでなし、

むしろ「う~む」と考え込んでしまう要素がある方ですので(この点は後で触れますが)

ま、そこに盆栽苑があったから寄ってみたということであるという。そして、そこでまた考えるわけですね。

 

盆栽と言いますと、とにかく小さいことが特徴のように思いますが、ここには結構大きなものも。

そこで一番に目を向けたのはその樹齢なのでありました。

 

 

 

 

 

左上はかりんの木でして、その推定樹齢は約90年であると。

左下のかえでは推定樹齢が約110年、右下は真柏というヒノキ科の木で推定樹齢は約230年以上、

そして、右上もやはり真柏で推定樹齢はなんと!約400年以上だというのですなあ。

 

昨今はヒトの世界の人生100年時代などということがまことしやかに語られるご時勢となってますですが、

おそらくヒトの場合にはかなりくたびれた状態で生きているかもしれないところに対して、

これらの木々は立派に生きている感があるのは大したものであるなあと。

 

盆栽作りに似合う表現として「丹精する」という言葉がありますけれど、

上の写真のような盆栽はさぞかし丹精の結果でもあろうかと思うところ、なのですが…。

 

本来的にそれらの木々が100年、200年、果ては400年と育ったとすれば

さぞかし巨木になっていたろうと思うところながら、盆栽として大きめとはいうものの、

樹高は1メートルにも満たないところに留められておりますな。

 

「それでこその盆栽でしょう」とは理解するも、

そして小宇宙だからこその美的世界があるとも思わないではないところながら、

木々としてはすっくと伸びていきたいものを、丹精という人の手でもって人が気に入るように縮こめている、

そんなふうにも思えるのですなあ。

 

あたかも星一徹が理想の野球選手に育てるため、息子に大リーグボール養成ギプスを強要するような…と、

そんなことも思い浮かんだりするとなりますと、人の手が加わるのはすべていけんのであるか、というような極論とも

受け取られてしまうかも。もちろん、そんな本意はありませんで、あくまで単なる個人的な感想でありまして。

 

考えてみれば、ヒトが自分たちにとって都合のいいように自然に手を加えるのは

何も盆栽に限った話ではありませんで、普段生活する周りじゅう、そのようなものばかりでありましょう。

そんな中で、当座都合がいいと思ってやっていることが実は長い目で見れば逆効果を生ずることもあるわけで、

何につけ考えどころと考えようを忘れないでいたいものだなということで、話の終わりといたしましょう。