ワイマールにヴァン・デ・ヴェルデが招かれて、

バウハウス の前身である工芸ゼミナールを開設したのが1902年。


その頃の日本の建築事情は…といいますれば、

東京駅 を設計したことで有名な建築家・辰野金吾 が活躍した時代でもありましょうか。

辰野の生没年は1854年~1919年、頃合いとしてはバウハウス前夜ということになりますけね。


その辰野は生没年をご覧になってお分かりのように2019年はちょうど没後100年ということで、

日本銀行金融研究所貨幣博物館で特別展が開催されておりました。

題して「辰野金吾と日本銀行 ―日本近代建築のパイオニア―」、

東京・日本橋にある日銀本店も辰野金吾の設計だったのですよねえ。


辰野金吾没後100年特別展「辰野金吾と日本銀行 ―日本近代建築のパイオニア―」@日本銀行金融研究所貨幣博物館

日本の西洋建築の黎明はお雇い外国人ジョサイア・コンドル とともにあって、

辰野もその弟子のひとりでありますね。当時、ロンドンの町に立ち並んだ豪壮な建築を

日本に再現するような取り組みを辰野も担ったということになりましょうか。


これまでは、ただただそんなふうに考えていたのですけれど、今回の展示を見て、

どうやらそんな単純な発想なのではなかったのであるなと改めて。

建築家の心意気は建物を含む都市空間を創造することにもありましょうし。


冒頭に引き合いに出したバウハウスでは先駆的なデザイン、もちろん建築を含めてですが、

新しいものを作り出す模索が続けられていたものと思いますが、辰野が参考にしたのは

それまでのヨーロッパ建築、とくに英国の様式であったわけですね。


ですが、さきほどもちと触れたように単に様式を真似て持ち込んだわけではなさそうです。

例えば、1896年に竣工した日本銀行本店にはジョージアン様式が使われていると。


産業革命期のスタイルと言われるジョージアン様式は、

白い石を使ってギリシア・ローマ風の古典主義を装ったものであるとか。


建てられた当時は、その見た目の印象の固さから設計者の名をもじって

「辰野堅固」てな揶揄も飛んだそうですけれど、辰野がジョージアンを採用したのは

明治日本を産業革命期の英国に擬え、同様な、あるいはそれ以上の国の発展というところに

思いを込めたようでもあります。


一方で、1914年竣工の東京駅にはヴィクトリアン様式を採用している。

前半期には華やかな赤レンガをと用いてゴシックリバイバルとも呼ばれたですが、

後半期になりますと石造りの古典主義と赤レンガのゴシックとが入り交じり、

極めて装飾性の高いものとなっていった…そのクイーンアン様式を

辰野は1880年頃の英国留学の際に目にして、

「今の日本には早過ぎるが、将来はやりたい」と思ったのだとか。


1880年代には早かった爛熟の様式が、東京駅に着手した20世紀初頭には

東京の様子に似合うものとなっていたのでありましょうか。

ある種、明治の急ぎ足がこのあたりからも窺えるような気がするではありませんか。


明治日本の建築界でその名を馳せた辰野金吾は、

生前手がけたい建築物を3つ挙げていたというのですが、

ひとつには日本銀行、ひとつには中央停車場(東京駅)とふたつまでを成就。


そして、3つめの国会議事堂は自らの設計ではないものの、

コンペにあたって入選作に自らの手を入れようとした…となると、

ちと末路を汚した感もあるような。


ですが、辰野建築は東京以外でもまだまだ見られる由、

その設計の思いがなへんにありやということと同時に探訪してみるのも

また楽しからずでありましょうね。