METライブでモーツァルト
の歌劇「イドメネオ」を見てきたのでありますよ。
しばらく前に国立音楽大学であった学生公演で、初めて「イドメネオ」に接したですが、
何とも合唱の魅力に溢れた曲であるなと思ったのが最初の印象でして。
ですのでそうしたつもりで見に行ったところながら、
合唱は合唱でいい(幕間のインタビューで合唱指揮者のドナルド・パルンボも言ってた)上に、
重唱がまた良いですなあ。
後の「フィガロの結婚」とか「コシ・ファン・トゥッテ」とかの
オペラ・ブッファの軽妙さとはひと味違ったものがあるこのオペラ・セリアは、
モーツァルト24歳という若さと気負いをもって作られたのでありましょう。
ウィーンに出る前のモーツァルトはあちらこちらで職探しの毎日でもあったでしょうけれど、
1780年、バイエルン選帝侯カール・テオドールから依頼されたオペラには
さぞ意気込んだことでしょう。
ところで、モーツァルトの地元ザルツブルクとバイエルン選帝侯の居城のあるミュンヘンとは
ご近所ということで白羽の矢が立ったのかと思ったりもしたですが、
この辺の理解(というか想像)には思いがけずも昨夏の旅が役立ちましたなあ。
昨年夏のドイツへの旅はマンハイム
から始まり、プファルツ選帝侯の宮殿
などを訪ねました。
そこでは建物の壁面に「ここでモーツァルトが演奏した」てな記載があるのを見たりして、
「おうおう、出稼ぎごくろうさんですなあ」と思ったものです。
プファルツ選帝侯は音楽にも造詣が深かったようで、
音楽史に「マンハイム楽派」という言葉を残すような(当時として)音楽家たちを抱え、
立派なオーケストラを持っていたのですよね。
でもって、ミュンヘンにあってモーツァルトにオペラを依頼したカール・テオドールですが、
バイエルン選帝侯を継ぐ前にはプファルツ選帝侯としてマンハイムにいた人だったのでして、
候がマンハイムからミュンヘンは移る際にオーケストラも連れていってしまったらしい。
ですから、ミュンヘンで演奏されることが前提なのであれば、
それは当時のヴィルトゥーゾ・オーケストラが演奏してくれることが分かっており、
作曲する段階からしてそれを意識していろんな書き込みができたのではありますまいか。
「イドメネオ」がモーツァルトの初期作の中でも些か抜きん出た厚みを感じるオペラとなったのは
こんなことが関係しているような気がするのでありますよ。
ところで、この「イドメネオ」に限ったことではないと知りつつ触れてしまいますが、
要するに「神様」の取扱いといいますか。
「イドメネオ」の舞台はトロイア戦争終結後のクレタ島で、
ここで「神様」といえばギリシア神話の神々ということになりますですね。
登場人物たちに試練と葛藤を、そして最後には慈悲ある解決をもたらすものとして
海神ポセイドン(オペラではネプトゥヌスですね)が出てきます。
(実際は最後の最後に、神託の声として現われるだけですが)
細かいストーリーは略しますけれど、タイトルロールのイドメネオなどは
自分たちを過酷な運命に巻き込んだ海神に対して恨み言を投げたりするのですな。
このオペラを取り巻く人々、即ち作曲者、演奏者、そして聴衆も
基本的には全てキリスト教徒であろうと思うときに、
「神様なるもの」にこうした疑義を呈したりすることをどう受け止めていたのだろうかと
考えてしまったりしたわけでして。
そも海神とはキリスト者にとっては縁の無い神だからどうとでも…なのかもですが、
そういう邪教の神といったものを絶対的に否定して、例えば南米に乗り込んでいった宣教師は
キリスト教の唯一絶対の神こそ信じるべきと争いすら仕掛けていったのではないかと。
ですが、一方で布教のためにはゲルマン神話との融合なども図ったわけですから、
ましてギリシア・ローマ神話においてをやではあるのですけれど、
そもそも「神々」という言い方がありえないキリスト教が折り合いをつけるのは
宗教上の妥協が相当にあったでしょうなあ。
そうはいっても、民衆にとっては海にも山にも森にも神(もしくはそれに類する何かしら)が
存在すると受け止める方が自然だったのでしょうね、きっと。
でなければ、「神々」だらけであるギリシア神話もローマ神話も忌避されることになったでしょうし。
