全く以て唐突ながら映画「若草物語」を見てみたのでありますよ。
よく知られたキャストとしてはエリザベス・テイラー
が出演している1949年版です。
うろ覚えで恐縮なんですが、小学校の高学年、あるいは中学の頃に
推薦図書だったかのプリントが配られた記憶がありまして、それの筆頭にあったのが
オルコット作「若草物語」であったなと覚えているのですね。
にも関わらず、以来数十年を経た今になっても「若草物語」を読んだことがない。
たぶん「小公子」や「小公女」といった物語もかつては子供向けの推薦図書に
必ず上がっていたのと同じように、「良い子のなんたるか」を示すものとして、
道徳というのか修身というのか、そうした観点で薦められていたもののような気がして
煙たく感じていたのかもしれません。
というわけで、「若草物語」のストーリーを微塵も知らずに見た映画版でしたですが、
何だか妙に「ふ~ん!」と感心してしまったと申しますか。
ピューリタンの厳格な家庭であるマーチ家の四姉妹、
メグ、ジョー、エイミー、ベスは上から順番にそれぞれがいかにもな性格であるようで。
長女のメグはしっかりしているけれどおっとりもしている。
次女のジョーは活発で目端が利くけれど、かなりはねっかえりですな。
三女のエイミー(原作ではエイミーとベスの順番が逆のようですけれど)は
自分の役どころが「かわいい、かわいい」にあることを意識して振る舞いもそれなり。
末っ子のベスは体が弱く臆病で誰もが気に掛けたくなってしまうという。
ジョーは作家志望であることからも、作者の分身なのでしょうけれど、
とまれそんな子供たちと周囲の大人たちが絡んで起こる日常的な小事件を綴っていくわけですが、
1868年に書かれた古いお話ながら古さを感じさせないものがあるなと思ったのでして。
昔のアメリカ映画にはまだピューリタニズムの名残りがあったのか、
いわゆる「いい人」(不器用だったりはしますが)の出てくる「いい話」がたくさんありますよね。
例えば「素晴らしき哉、人生!」
(最近の映画ではないですよ)なんかもそうでしょうなあ。
共通項として底流するのはお互いの信頼感ですかね。
家族間はもとより、そうでない人同士であっても。
残念ながら(という言葉が適当かどうかですが)いつの間にやらようすはすっかり変わったような。
信頼感で物事を語るなどちゃんちゃらおかしい、世の中、人がどうあれ、自分よ、自分!的な
考え方が普通にそこにあるといった具合に。
取り分けビジネスの世界では、人はどうあれ、自分が儲かりさえすればということが
平然と行われていることは以前に見たドキュメンタリー映画
などでも窺えるところでありましょう。
政治の世界も似たようなものらしく、先日の井伊直弼を取り上げたNHK「知恵泉」では
ゲストで登場した政治評論家が「いい人」と言われるのは政治の世界では
ダメなやつと言われるに等しいのですよてなことを語っておったですが、
現実そういうもんだとしても、何故それでいいのか、その状況自体がおかしいんでないか、
どうしてそれを良しとした上での話にしてしまうのかには誰も言及しないのですな。
言っても詮無い話…なのかもしれませんが、「いい人」でいてはいけない世界とは
その世界そのものがおかしいと考えることを放棄していいようには思われませんね。
と、また相当に脱線してきておりますが、
とにもかくにも登場人物が「そんなお人よしでは生きていけないよ」的な人物であって
紆余曲折はあるにせよ、きちんとした結果に繋がると安心できる気がするのではないでしょうか。
的を射た話になっているかは別として「若草物語」にもちとそうした空気を感じたものですから、
「ふ~ん!」と感心してしまったというのはそういう次第でありまして。
そうそう、主人公(と言っていいのでしょう)のジョーが時折、驚きを表すのに
「Christopher Columbus!」と言っておりましたなあ。
どうやらこれは今なら「Jesus Christ!」と叫んでしまうような場面で、
イエス・キリストの名を直接的に出すのは憚られるとして、「Christ」部分に引っ掛けた表現のよう。
こうした部分にも今では忘れてしまった床しい感覚とでもいいますか、
そんなものがあったのだなと思ったのでありました。
もっとも、当時としては「クリストファー・コロンバス!」のひと言は
実質的に「ジーザス・クライスト!」と言ってるに等しいインパクトであったでしょうから、
ジョーしか発しないこのひと言は大いに性格を表すひと言でもあるとも言えましょうね。
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