なんとなく、ああ、いい話だったなあ…という映画がありますね。
スカパーで毎度のごとく特段の予備知識も無しに録画しておいた「はじまりのうた」は
そんなふうに思った映画でありましたよ。


はじまりのうた BEGIN AGAIN [DVD]/ヘイリー・スタインフェルド


音楽プロデューサーのダン(マーク・ラファロ)は友人とともにレーベルを立ち上げ、
当初は飛ぶ鳥を落とす勢いであったようなのですが、年を経た近頃は鳴かず飛ばずの状態に。


本人は次なる金の卵発掘のために日夜奮闘しているつもりながら

結果が一向に伴わないものですから、会社からみれば過去の栄光に寄りかかって

仕事もせずにぶらぶらしているようにしか見えない。

会議には遅れてくるし、意見は他の誰とも折り合わず、しまいには暴れ出し…となっては、
自ら立ち上げた側であるにも関わらず、設立仲間から解雇を言い渡される始末なんですな。


かてて加えて、妻との関係はうまく行っておらず別居中。

思春期の娘からも眉をひそめられている…と、
八方いいことなしの状況に「死んでしまおうか」とも考えてしまう。


ところが、飲んだくれついでにふと入ったライブバーで耳にした一曲が
ダンのプロデューサー魂に火をつけることに。


無名のソングライター、グレタ(キーラ・ナイトレイ )がギター一本を伴奏に歌うのを聴きながら、
ダンの頭の中では曲のアレンジが自然と泉のごとく湧き出してくる。
店を出たところでグレタを呼び止め、アルバム制作を持ちかけるのでありました。


渋るグレタを説き伏せた上で、

元いた会社に話を持っていくと「とにかくデモを聴かせてくれ」となる。
ですが、予めデモ・テープがあるはずもなく、

かといってデモを作るための資金をダンが工面できるはずもない。


ちょいと話を端折って、なんとかバンドを面子を掻き集め、いざデモ作り。
録音スタジオの費用を浮かせるために

路上でのライブを生録りしようということになるわけですが、
映画としてはこの部分がドキュメンタリーっぽさも加わって、実にいいですなあ。


ニューヨークの街なかのあちらこちらで電撃ライブを敢行。
当然に警官に追われるような場面もあり、またビルの屋上で収録するところなどは
安直な連想ながらどうしたってビートルズの「レット・イット・ビー」を思い出すではありませんか。


ちなみにこの映画のキャッチは「ニューヨークの空の下。歌と出会って、明日が見えた。」、
この段階では必ずしも明日が見えるところまで行ってはいませんけれど、
明日を見やるまなざしをバンドの皆も、そして当然にダン自身も

持ちえた瞬間と感じ取れるのでありますよ(「なんとなくいい話」という、その一部分です)。


デモを録りおえたダンは意気揚々と元の会社に乗り込み、

聴かせてみれば会社は契約したいと。

ところがグレタにその気はなく…(と、最後の最後は書かずにおきましょう)。


と、あらすじをたどってきたわけですが、これは基本的にダンの側でなぞったお話。
映画ではグレタを軸にした話も同時に展開しているのですが、
ここでは敢えて触れず。
それがいらない部分だとは全く思ってはいませんけれど、

ダンを主人公としたファンタジーだと思うことにして。


とにかく八方ふさがりの状況に陥っていた中年男のダンの目の前に、
自分の夢を叶えてくれる力を持っていると思える若い女性グレタが現われる。
グレタと関わるうちにその可能性がどんどん高まっていくのを実感するダン。


家庭の状況が思わしくない原因がむしろ妻にあったと知ってみれば、
ダンがふとグレタに惹かれる瞬間があっても許されましょうか。
はっきり描かれてはいないものの、グレタの側もまた少々ダンに(?)。


ですが、路上ライブというお祭りのような高揚感をともにしたグレタは

やがてただ去っていくのですな。
そして、グレタが去った後のダンはまるで魔法のように?

仕事に返り咲き、妻とも娘とも睦まじくなっていた。


こういう見方をすると、

まるで「メリーポピンズ」的なファンタジーにも見えてくるではありませんか。

だからこそ「そんなうまい話はありえないね…」と切って捨てるのも簡単ながら、
ありえないからこそファンタジーであって、「ああ、いい話だったな」とも。


近頃は銃撃戦やらカーチェイスやら言ったものに
胃もたれ感が付いてきてしまうだけにアメリカ映画全般を控えめにしてたりするんですが、
こういう映画ならたまにはいいねと余韻を楽しんだのでありました。


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