…まるで論理に合わん。それだから貴様はオタンチン・パレオロガスだと言うんだ。

これは「吾輩は猫である 」の中にある有名なひと言でありますね。
苦沙弥先生が奥さんに「呆れたやつだ」とばかりに言い放つ場面です。


ちなみにしばらく前のNHK「歴史秘話ヒストリア」では、小説の中でのことではなくして
妻の鏡子に対して漱石が「オタンチンのパレオラガス」と言ったように紹介されていましたので、
博学でかつ寄席好きな漱石らしく頓知をきかせた(つもりの)この言葉を実際に使ったのでしょう。


「オタンチン・パレオロガス」と「オタンチンのパレオラガス」では表記に微妙な違いがありますが、
後者は鏡子夫人の記憶として「漱石の思い出」(未読ですが)あたりに出てくるのかもですね。


ところで漱石を博学と言いましたけれど、「吾輩は…」にも専門の英文学に限らず、
実にいろいろなことが引き合いに出されている。冒頭に引用したのもそうしたひとつでしょう。


それにしても「オタンチンのパレオラガス」と言われて全くピンとこない鏡子夫人には
なおのこと漱石は呆れたかもしれませんけれど、それはちと酷なのではなかろうかと。


既によく知られていますように、オタンチン・パレオロガスとは
東ローマ帝国最後の皇帝コンスタンティン・パレオロガスの名を引っ掛けてあるわけですが、
そんなことを知っている人の方が珍しいのではとも思ったりするところです。


…と、長い前置きになってしまったですが、
ここいらへんを読んでいて「そうだった…」と思ったのがまたしても録画しっぱなしの番組のこと。


東ローマ帝国ではなくして西ローマ帝国の話ですけれど、

ハリウッド往年の大作映画「ローマ帝国の滅亡」、
そしてヒストリーチャンネルで放送していた「ザ・ローマ 帝国の興亡」(全6話)、
この際だからとどちらも見てしまおうと思ったわけでありますよ。


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映画の方は「ローマ帝国の滅亡」という邦題ながら、原題は「The Fall of the Roman Empire」で、
滅亡の時を描くのではなくして、こうしたことから衰退が始まったんですよ的なところであろうかと。


話は五賢帝最後のマルクス・アウレリウス帝の死によって

息子のコンモドゥスが皇帝に即位する辺りを時代背景にしていますけれど、

余りに脚色されていますので映画オリジナルストーリーと言ってよかろうかと。


例えばですが、ソフィア・ローレンを登場させてラブストーリーにもするために
マルクス・アウレリウス帝の娘ルキッラを恋人であるローマ軍の将軍から引き離し、
アルメニア国王と結婚させるという話を作ったりしているのですな。


だもんですから映画のストーリーを追っかけるよりも、

もうひとつのドラマ「ザ・ローマ」の方と併せて
ローマ帝国の衰退に繋がっていくでだろうと思われる点を考えてみた方がよさそうです。


ひとつにはローマが帝政に移行したのは良かったのかどうか、
またローマ帝国の帝位をどのように継いでいくのがよかったのかといったことがありますね。


さらに皇帝本人のことでいえば、暴君として知られるネロですけれど、
大火でローマが焼き尽くされるまではむしろ市民を思う皇帝だったのではと思えるところながら、
ローマの町が壊滅したときに「自分が歴史上に名を残すには何をすべきか」と考えて、
立派なローマを再建することに思い至り、その実現のためには市民からも周辺民族からも
むしりとれるだけ取るという過酷な税制にしてしまうのですな。


皇帝=独裁者ではないことに思い至らなければならなかったのは

ネロひとりの話はないでしょうけれど。


また、周辺民族との関係ですけれど、ローマ帝国にとっての悲劇は
最初から国家体制が軍事国家として成り立っていたことでもありましょうね。


周辺民族とローマ市民とは厳然と分け隔てられていましたけれど、
周辺民族は軍役の年季奉公をした後には市民権を得られることが釣り餌ともなって、
軍隊の規模を確保し、それによって侵略が進めば仮に先に年季明けの者がいても、
新しい征服地から兵隊を確保すればいいことになるわけです。


が、これはそういうサイクルで常に回っていなかないと破綻することになるわけで、
時代が移って皇帝(あるいは取り巻きの賢者ら)から善政と思しき政策として

帝国領土内に暮らすものには等しく市民権を与えるべきだといったことが出てくると、
それはそれで人道上も最もなことなんですが、兵隊のなり手がいなくなってしまい、
周辺警備もできない、攻められれば後退するばかり…と坂道を転げ落ちていくのですなあ。


そう考えてくると、過ちを繰り返さないために歴史に学ぶところは
ローマ帝国にも当然のようにあるわけですね。


ともすると光の部分ばかりが語り継がれたりもしますけれど、
そればかりではないことを知って、いろいろ考えてみることが必要であるなと思うのでありました。


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