一昨日の晩、都心は隅田川の花火大会で大盛り上がりであったろう頃に
もそっと規模は小さいながらもそれなりに人を集める昭和記念公園@立川でも
花火大会が行われていたのでありますよ。
とかく混雑を敬遠する性質ながら、「いい席あるよ」(とダフ屋ではありませんが)と
誘いの声が掛かり、すでに会場に向かう道すがらにうんざりしつつも出かけてみたという。
確かに「なるほど」という場所取りがなされていて、未だ日は沈みきらないうちから
すでにビールを開け、つまみに手を出し、野っぱらの涼風に吹かれて始まるのを待つことしばし。
定刻18時20分を期して、まずはズドンと。
続いてほどほどのペースで打ち上げられる花火を見上げながら、
「そういえば、花火大会をわざわざ見に出かけてきたのも久しぶりだな…」と思い出すのですなあ。
久しぶりどころか、印象に残る花火大会は小学校低学年の頃でして、
母親の実家に寄り集った親戚一同こぞって、川原にござを敷いて見たというもの。
ちょうど昨年9月に決壊した鬼怒川の、決壊地点にほど近い場所ではなかったかと。
と、かほどに昔のことを思い出す一方で、そういえば…と思いますのが、
花火ということなら昨年はフランクフルトのマイン河畔
で、
一昨年はハンブルクのアルスター湖畔
でフェストの終幕を飾る打ち上げ花火を見たなぁとも。
ですが、その近い経験よりも遠い思い出の方が結びつきやすかった背景は
花火大会そのものの違いということになりましょうかね。
フランクフルトでもハンブルクでも、まずもって花火大会は自立したものではない。
数日にわたってあれこれのイベントが行われてきたフェストの締め括りのひとコマなわけです。
ですから、1時間も2時間も花火を打ち上げ続けるなんつうことはなくして、
いずれも15分ぽっきりではなかったかと。実に賑々しく濃密な15分。
そして立川の花火との最大の違いは、ノリノリの音楽ががんがんと鳴り響く中、
花火とレーザー光線のコラボレーションが展開するという仕立てなのでありますよ。
見に来た人たちもまたハイテンションになるわけで、終わって三々五々散っていく際にも
「ひゅ~、ひゅ~!」てな歓声、奇声が飛び交っていたりもするという。
立川の花火大会は1時間ほどでしたけれど、
先ほども触れましたように「ほどほどのペース」で打ち上げられましたから、
決して濃密な光のショーといったふうではない。
見る側も「ドン!」といって花火が大きく花開いたときには「おお!」と声はあがるも、
「ぱらぱらぱら…」と広がった花火が消えていく様も淡々と見入っているのですな。
要するに「余韻」の違いであろうと思うのでありますよ。
そうした「余韻」をも楽しむようなところに「風情」が感じられるといいますか。
それが近い経験であるドイツの花火よりも遠い思い出の鬼怒川花火大会に
結びついたのでありましょう。
終わっての帰りがけ、たくさんの人が実に静々と会場を後にしていく。
「ひゅ~、ひゅ~」なんつう声は聞こえず、一見したところでは高揚感はないような。
ですが、おそらくはそれぞれが余韻に浸っていて、静かな高揚感を秘めているといいますか。
雰囲気で言って恐縮ですが、きっとそんなところが日本人の感性であるのかもしれませんですね。
昨今の日本ではドイツで見たような欧米風の光のショー化している花火大会もあるようで、
もちろんそれはそれで楽しいですし、見事なものではありますけれど、
ともするとそれに比べて間延びした、地味なものと受け止められてしまうかもしれない
昔ながらの花火大会を楽しむ感性が無くなっていかないといいがな…と思うのでありました。