またひとつアメリカの小説を読みまして。
近所の図書館で棚に並ぶ本のタイトルを眺めながら

「!」と思ったものを取り出してはパラパラとめくったり、
カバーに内容紹介文があればこれに目を通して「!!」と思えば借りる…
みたいなことを

繰り返してますが、今回は書架から抜き出して表紙カバーを見ただけで「!!」と。


シャルビューク夫人の肖像 (RHブックス・プラス)/ジェフリー フォード


タイトルは「シャルビューク夫人の肖像」というものでして、
ご覧のようにカバーに配されたの絵は

ジョン・シンガー・サージェントの「マダムX」なのでありました。


お話の舞台背景は世紀末のニューヨーク
1884年のパリ でサロンに出品され、物議を醸した「マダムX」は
現在ニューヨークのメトロポリタン美術館所蔵となっておりますけれど、
その頃からニューヨークで見られたものかどうか…。


といっても、基本的にはストーリーとしてサージェントにも「マダムX」にも関係は無いのですが、
世紀末の猥雑 な空気はパリに限らずでありましょう、とても繋がりある時代の空気みたいなものが

この話とサージェントの「マダムX」と繋がっている気がしたものです。


一方で「金メッキの時代 」とマーク・トウェインが揶揄した時期でもあり、
産業化・工業化の大きな波の中で、本来貴族のいないアメリカに

成金という似非貴族が続々誕生していたのですな。

やることなすこと貴族趣味みたいなところがありましたでしょうから、
そんな中では「肖像画」の制作依頼なんつうことも大いに行われていたようで。


本書の主人公である画家のピアンボも芸術絵画に向き合いたいと考えていながら、
その実日々の糧は金持ち連中から依頼される肖像画の制作でまかなっているのでありますよ。


そんな毎日に飽いていた時、奇妙な依頼が舞い込みます。
シャルビューク夫人という依頼主の曰く

「私の肖像画を描いてほしい。ただし、決して私を見てはならない…」。


いささかの好奇心から夫人の邸宅を訪ねたピアンボを待ち受けていたのは、
屏風の裏側に座り、決して姿を現さない夫人との対話。
容姿に関わること以外ならば何を聞いても答えるから、
肖像画制作の材料にするようにと言うのですなあ。


しかしながらピアンボが何かを尋ねる以上に、

シャルビューク夫人は自らの生い立ちを事細かに語り始め、
この問わず語りはいっこうに止むことがない…そればかりか、

奇妙な話ばかりでとらえどころがないというか。
ピアンボがシャルビューク夫人をシェエラザードに擬えたのもむべなるかなでありまして。


奇妙なというか、妖しげなというか、そうしたことはシャルビューク夫人の話ばかりでなく、
ピアンボの周囲でもあれこれ起こり、それも結局のところは夫人の話の中のことと

リンクしていくような…。


「シャルビューク夫人とは何者であるか」との謎は最後の最後まで残されていきますけれど、
ミステリーとして読んでしまうと、落ち着きどころが「これなの?」と

唖然としてしまうことは必至でありましょう。

では、面白くなかったのかというと、ちと考え込んでしまうという。

そしてふと思ったですが「これは展開をこそ読む話だな」ということなんですね。


先にも触れたような時代の空気が、読み手にも濃厚に纏わり付いてくる。
ピアンボをはじめ登場人物がつい我を忘れて、何かに憑かれたようになっていくようす、
それと同じような中で読み手としてはどんどんページをめくって行ってしまうといったような。


と、改めてサージェントに戻りますけれど、
「マダムX」のスキャンダルでいたたまれなくなったパリからロンドンへと移った後も
肖像画家としての確固たる地歩を築き上げていくも、

晩年には水彩で風景画を描く境地?に到達したのだとか。


本書でのピアンボは「シャルビューク夫人の肖像」という、
ある種大きなスキャンダルとも言える肖像画の制作に関わったことで、
御用肖像画家という立場から脱皮して(金銭的に成功するかは不明ながら)
自分が目指すべき絵画を制作すべく風景画に向かっていく…。


この辺りは、同時代だという関連からばかりでなく

サージェントのまぼろしが見えてくるような気がしたものですし、
それだけにカバーに「マダムX」を持ってきたのは秀逸だなと思ったものでありますよ。
(取り分け目から上の部分をカットして、「見えない」ことの暗示があることも含めて)


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