ヤマト王権空白の世紀 | 情届士洋山(じょうかいしようざん)の日記 アンチエイジング、ガーデニング、時々人情話

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情届士洋山は第二の人生名。「世のため人のため」「人様に喜んでいただく」がモットー。
バラの育成、浪曲の口演、トイプードル・ソラの心、etc。

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NHKスペシャル古代ミステリー

第2集 ヤマト王権空白の世紀

 

 

 

見応えがあり、且つ、真に分かりやすい番組となっていた

 

 

 

私の知る限りでは・・・

 

 

 

 

令和、平成の天皇陛下は、

ひたすら国の安寧と国民の平和を願い、

私もテレビ等の報道でご尊顔を何度も拝することが可能であった

 

 

 

昭和の天皇陛下は、国の敗戦を受け入れ、

国や民の象徴となり、戦後復興と平和な日本へ導かれた

小学生低学年のころ、御来秩の際、日の丸を振ってお出迎えした

 

 

 

これ以前となると、全く歴史上の人物であり・・・

 

 

 

そのお姿を知るには、学校教育での知識に頼らざるを得なかった

 

 

 

それでも・・・

 

 

 

明治の天皇陛下については、

そのお写真が巷に残り、近い存在であった

初めて人間天皇として国民の前に御姿をお出ましになり、

武士の世から、日本の近代化のための力強いシンボルとなられた

 

 

 

これが時代を遡るほど、遠い存在となり、

 

 

 

最後には神話の世界までに及ぶ

 

 

 

だから・・・

 

 

 

 

400年代5世紀の頃の情報は極めて乏しい

 

 

 

番組でも、「古代史ミステリー」などと名付けられいる

 

 

 

 

この頃に、日本には、ヤマト王権があり、5人の王がいた

 

 

 

こうした史実を・・・

 

 

 

 

分かりやすく、伝えてくれた

 

 

 

 

番組内に、歴史ミュージアムがあり、

 

 

 

 

そこに一人の来館者があり、それに対応する司書と館長が、

対話や、会話等を通して、言葉をくだいて教えてくれた

 

 

 

また実際に、王が実権を振るった様子を、ドラマ仕立てで見せた

そのことにより、私たちと同じ人間として、身近に感じることができた

 

 

 

 

朝鮮半島高句麗の侵略に苦しむ、百済、新羅、加耶

 

 

 

 

中国大陸の宋と北魏の対立

 

 

 

 

そんな中で・・・

 

 

 

 

グローバルな国際戦略で、激動の世界と対峙しながら、

壮大な戦略で国の礎を気付き上げたヤマト王権の5王

 

 

 

讃(応神天皇?、仁徳天皇?、履中天皇?)

 

珍<讃の弟>(仁徳天皇?履中天皇?、反正天皇?)

 

済<珍の子?>(允恭天皇)

 

興<済の子>(安康天皇)

 

武<興の弟>(雄略天皇)

 

 

 

 

中国の歴史書に登場した名前で、皆初めて知った

 

 

 

 

この頃の、ヤマト王権では、有力者のお墓は、前方後円墳で、

九州から東北、朝鮮半島南部まで広がっている

前方後円墳は全国統一のシンボル

 

 

 

中でも最大の仁徳天皇陵の規模は、

クフ王のピラミッドや、秦の始皇帝の陵墓よりはるかに大きい

 

 

 

 

彼らは、国難を救う起死回生策として・・・

 

 

 

150年ぶりに宋へ使者を派遣し、安東将軍を授かった

加耶諸国や新羅など朝鮮半島南部の軍事権を与えられた

 

 

 

 

これをもって、朝鮮半島産出する、鉄の確保が可能

戦に勝つために、甲冑の大量生産を行った

 

 

 

騎馬軍団育成のため、新羅から馬を譲りうけ、

その育成地は、近畿から東北まであった

資料には粟稗雑穀なども与え、健康で強い育成を、王権が推進

 

 

 

 

まあ~~

 

 

 

 

目からうろこの連続

 

 

 

 

日本天皇の祖先が・・・

 

 

 

 

こんなダイナミックで力強い生き方をしていたとは・・・

 

 

 

 

歴史の見方が、大きく変わった一瞬であった

 

 

 

 

公共放送の在り方が問われるNHK

 

 

 

 

素晴らしい番組を作ったものだと・・・

 

 

 

 

心の中で、拍手!!