丘 奈凰妃(おか なおひ)が、
「見えないものを見る人」
「ほんとうのこころの声を通訳する人」
「あなたのこころをぽんと押す、ヒーラー兼石屋」
にころがるまでのストーリー。


前回の記事は
2. おさない日々に「毎日」やってきた、母との別れ でした。

 


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完全抑圧とは、その時の記憶が一切ない、その時の気持ちも一切思い出せない、完全に「なかったことになっている」状態のこと。

わたしは幸せに育ってきたと思い込んでおり、心理学を学び始めて、初めて自分の中の大きな抑圧に気づき、本当に驚きました。


その後も、ヒーリングワークなどで、「悲痛なほどにお母さんを求める、小さななおちゃんがいますね」と言われても、自覚なくぽかんとしていたほどです。


今でも、それに関しては、全く記憶がないのです。

 

自分の内面を注意深く探っていかない限りは、母と一緒にいられなかった、もっと一緒にいて甘えたかった、という気持ち自体、浮かんでこないのです。

 

母からも祖母からも気持ちの上ではとても愛されていましたし、祖母には可愛がって大事に育ててもらって、養育に必要な愛が十分に与えられていたからでしょうか。

 

生まれた直後から母と離れているのが日常で、それを当たり前のこととして受け入れていた、というのもあると思います。

 

 

ただ、それがとても巧妙な隠れみののようになっていて、「わたしは愛されていた」「十分に与えられていた」と思っているのに、自分の中の言い知れぬ孤独感や不安感などを見ていくと、この「ママが足りないよ〜!」パターンに行き着くことが本当に多いのでした。

 

 

・愛の欠乏感


・わたしはどうせもらえないんだ、という絶望と悲しみ


・ほしいものを望むことすらしない、静かな諦め


・満ちるという感覚の欠如


・生きることに対する、安心、安全の感覚の欠如


など、
この仕事を選ばなければ一生気付くこともなかったかもしれないような感覚が、わたしの人生の根底の深いところには、常に隠れていました。

 

あとから気づいてみれば、この悲痛な気持ちが人生に及ぼす影響は本当に大きく、数々のトラブルの原因を紐解いていくと、結局いつも原因はここかよ、ということになるのでした。

 

 

実際、わたしだけが特別なケースではなく、様々な状況や理由で両親や家族と一緒に過ごせなかった方、望むような愛情をもらえなかった方も、大勢いらっしゃると思います。

 

ただ、わたしの場合、幼い頃から過酷な環境で育ってきた人に比べて、際立ったトラウマがないために、逆に深刻な欠乏感に気付きにくかった、というパターンなのかも、と今では思っています。

 

 

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次回、

3.5  30年後に思い出した、わたしにとっての真実

につづきます。

 

 

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丘が「あ、今ここが楽園だ、やべー、生きるの面白いなw ウェーイ!!」となった秘密、「7つの感情記憶」のからくりを大公開♪

 

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